音楽好きの中には、大衆向けのアーティストを嫌う者がいる。
筆者も過去には、売れているアーティスト、ポピュラー音楽を訳もなく嫌悪していた時期があった。現在は、以前ほど嫌っているつもりはないが、アングラカルチャーに対する憧れ、マイナー音楽に対する敬意は依然として持ち続けている。だから、大衆音楽を嫌悪したくなる気持ちは理解できる。
近年では「秋元康プロデュース」「LDH系列」のアーティストたちが、特に嫌われる対象だろうか。
なぜ売れる曲ばかり書くのか理解できない
特にアングラを好むリスナーなら、ほとんどがこう感じているだろう。なんだったら、大衆音楽などなくなってしまえばいいと思っているに違いない。
だが、音楽文化が存在する限り、大衆音楽もそこにあり続ける。
当稿では、ポピュラー音楽がなぜなくならないのか、「ポピュラー音楽」が生まれた歴史やビジネスの観点から語っていく。
ポピュラー音楽が生まれた背景には何があったのか?
ポピュラー音楽の話の前に、そもそも「音楽」がいつ生まれたかご存じだろうか。
諸説あるようだが、有史以前まで遡るらしく、人類初の音楽は「歌声」だと言われている。その他さまざまな説があり、最古の管楽器は約36000年前に存在したという説もある。
いずれにせよ、先人たちが音楽の歴史を積み重ねた結果、現代音楽があるということは間違いない。
では、簡単ではあるが、ポピュラー音楽が生まれた背景を語っていこう。
1880~90年代に「音楽」という娯楽は、マスコミとタッグを組むことになる。その結果「音楽」がビジネスとして大型化していくことになった。
ポピュラー音楽を生んだビジネスの方法とは?
流行りを見越した楽曲を作詞家作曲家に書かせる「プロデュース」
出来上がった曲を多くのリスナーに届け流行らせる「プロモーション」
これらが最も重要なポイントだったそうだ。
そして、実際にポピュラーソングを歌うのは、その時々で人気がある芸人だった。
すでにお気付きかもしれないが、現在の音楽業界とほとんど変わらない方法である。ポピュラー音楽が産声を上げた時点で、すでにそれは確立されていたのだ。
ビジネスモデルの確立は、音楽の歴史からみれば素直に喜ぶべきことだが、そのおかげで音楽の大衆化が加速することになる。つまり、猫も杓子も商業主義に走り始めたのだ。既存の音楽が持っていた、芸術性を削ってまで大衆に媚びを売り始める。結果的に個性のない音楽ばかりが溢れるようになった。尤も、そのカウンターカルチャーとして「ロック」が生まれたため一概に悪とは言い切れないが。
これらがポピュラー音楽の生まれた大まかな歴史である。
では、カウンターカルチャーが生まれてもなお、ポピュラー音楽がなくならない理由はどこにあるのか。
ポピュラー音楽がなくならない理由とは?
ビジネス上の理由
ビジネスとして大きな発展を遂げた「ポピュラー音楽」。
当たり前の話だが、ビジネスの規模が大きくなれば、それを支えるための企業がたくさん必要になる。そして、その企業では数多くの従業員が働くことになる。
つまり、ポピュラー音楽に携わる人間の生活を「(ポピュラー)音楽」の力(売上)で守らなければならなくなったのだ。
音楽に携わる人間はレコード会社だけに留まらない。ライブ運営でお世話になるイベント企画会社なども当てはまる。その他にも、音楽に関連した業種というのは数え切れない。そうした人々の生活を守る為に、ポピュラー音楽は存在し続けなければならなくなった。「企業」「人」お互いが支え合うことによって成り立っているのだ。
要するに、この世界から「音楽ビジネス」が無くならない限り、ポピュラー音楽が消えることはない。
アーティストの存在
音楽を「稼ぐ道具」として利用するアーティストの存在は、ポピュラー音楽を永らえさせる要因となる。
音楽で売れたいと思っている人間は世界中に星の数ほどいる。
では、音楽で売れるためにはどうすればいいのか?
大衆に支持されるジャンルで勝負するのが最も近道だろう。その結果、売れたいアーティストのほとんどがポピュラー音楽に傾倒することになる。
もちろん、自分の信じたジャンルで売れたいと願うアーティストもたくさんいる。だが、何年も芽が出なければ、意志とは無関係にレコード会社によって、所謂「売れ線アーティスト」を強要されるケースもある。またそうしてポピュラー音楽が生まれるわけだ。
結局、ビジネスとして確立してしまっている以上、余程の音楽的才能がなければポピュラー音楽を生み出す駒になってしまう。
ポピュラー音楽は悪いものではない
冒頭で、大衆向けアーティストを嫌う層がいると書いたが、大衆向け=悪ではない。いくつもの要因が重なり、結果として大衆向けになっただけだ。時流に乗っているだけに過ぎない。
すこし極端な例を出すが、平沢進のような極めてアングラ且つ実験的なサウンドのアーティストが、ある日突然ブレイクし、日本の音楽界を背負うようになったとしよう。
その結果、老若男女がBGMとして聴くようになり、後続のアーティストもこぞって平沢進の音楽スタイルを真似し始める。現象として捉えるなら、これはもう立派な大衆音楽だ。
サウンドやキャラクター的にも「ポピュラー」とは対極に位置する平沢進が、大衆向けアーティストになってしまった。
つまりはそういうことで、「ポピュラー」というのは結果論に過ぎない。
だからこそ「大衆向け」かどうかで音楽の善し悪しを判断してはいけない。筆者もその傾向があるが、「マイナーだから好き」という考えは捨て去るべきだ。実際に音を聴いて判断しなければ、良い音楽に気付かず通り過ぎてしまうかもしれない。
インディーズをはじめ「売れていないバンド」のみ選んで聴いている邦ロック好きがいるが、好きなバンドが明日突然売れてしまったらどうするつもりだ。聴くことを止めてしまうのか。きっかけはどうあれ、せっかく出会えた音楽に対してはもっと建設的に接してほしい。マイナーな音楽は時流に乗っていないだけなのだから。
ポピュラー音楽 まとめ
音楽産業がこの世から消えない限り、ポピュラー音楽はそこにあり続ける。
サウンドを変えながら、今後も人々の娯楽として発展していくのだろう。
それではまた。
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