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「昔の曲が良かった」と思う2つの理由と悪しき固定観念

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昔の曲の方が良かった

「昔の曲の方が良かった」

 

YouTubeのコメント欄でもよく見かけるこのセリフ。

 

これは要するに、現状の音に満足できない古参ファンの嘆きである。

 

 

筆者も「前の方が良かった」なんて思いながら音楽を聴くことなんてざらにある。

 

音楽好きなら誰だって、一度くらいは頭をよぎったことがあるはずだ。

 

ただ、この考え方が蔓延るのは悪しき習慣かな思う。

 

 

 アーティストは過去の自分を日々更新していかなければならない。

 

その中で大幅に作風が変わる事など当たり前のことだ。


だから、「昔の方が良かった」なんて考え方は、アーティストにとって悪でしかない。

 

なにより、応援するアーティストに対してそんな考えをぶつけるなら尚更。

 

本来ならば、作風が変化したことを嘆くより、アーティストのポテンシャルを歓迎するべきなのに。

  

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なぜ「昔の曲の方が良い」と感じてしまうのか?

「昔は良かった」と考えてしまう理由はどこにあるのか考えてみた。

 

売上至上主義の現状

現状に不満を持つのは、ある程度キャリアを積んだアーティストが、売上至上主義に傾倒してしまうからだと思う。

 

これは、音楽で飯を食うと決めた時点でアーティスト側はある程度覚悟していること。

 

勘違いしてはいけないが、アーティスト全員がお金欲しさに売上至上主義に走るわけではない。そういう人間もいるとは思うけれど、アーティスト活動は売上在りきなのだ。

 

なんたって作品が売れなければ次作の制作もままならない。

 

 

売れるためには大衆嗜好に合わせる必要が出てくる。その結果アーティストの個性が失われ、古参ファンから「昔の方が良かった」と言われてしまうという事だ。

 

たとえば、有名になってからファンになった場合はこれが当てはまらない。

 

すでに大衆化された作品を聴いて、それが好きでファンになっているからだ。むしろ昔の作風が嫌いということも逆にありえる。

 

 

アーティストのハングリー精神

先ほどの項目は、メジャーデビューをはじめ、ある程度知名度が上がった後の状況で起こりやすい。

 

 

その状況を作り出すためには、とりあえずインディーズでの活動を軌道に乗せなければならない。

 

完全に個人で活動しているアーティストもいるが、まずはインディーズレーベルとの契約が大きな目標になってくるだろう。その後、自分たちのCDを全国流通させ知名度を上げていくというやり方だ。

 

個人でやるにせよ、レーベルに頼るにせよ、初期の作品が勢いに満ちた良盤になるのは当たり前の話。

 

 

なぜなら、自分たちを認めされるために、それまでの音楽人生で培ったすべてを作品にぶつけるから。並々ならぬ想いや情熱を注いで制作されるのだ。

 

特にはじめて制作する作品にはそれが顕著に表れるはず。

 

そして、出来あがった作品に手応えが感じられなければ、上記の工程を繰り返していくことになる。

 

結果として「認めさせてやる!」という強い想いが作品に宿るのだ。

 

だからこそ、売れるまでの作品というのは、「初期衝動」が感じられるものが多くなる。

 

それこそがアーティストの圧倒的な個性となり、感銘を受けたリスナーがコアなファンになっていくのだろう。

 

昔の作品をさかのぼって聴いたとき「良いな」と感じる理由は、

  • 大衆化されていない音楽性
  • 作品から感じられる初期衝動

この二点だと筆者は考えている。

 

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「昔は良かった」の正体は無意味なハードル

冒頭で『「昔の方が良かった」なんて考え方は悪でしかない』と述べた。

 

だがそれは、アーティストのことが好きだからこそ生まれる感情であり、同時に「期待していたのに裏切られた」と言い換えることも出来る。

 

だが、アーティストにとっては、昔の作品と比較して聴いてくれる時点で有益な存在。

 

曲も聴かず否定するしか能のないアンチや、いっさい無関心なリスナーよりよほどありがたいと思うのだ。

 

 

「期待していたのに裏切られた」という感情は、リスナー側が勝手に作り上げたハードルでしかない。

 

要するに「固定観念」にとらわれた状態。まったくもって無意味なハードルである。

 

 

「このアーティストはこうでなければならない」という勝手なイメージを作り、想定したハードルを越えないからといって、それをアーティストの責任にしている。

 

 

 

ファンである以上、前作よりも良い作品を期待するのは当たり前だと思う気持ちもあるが、それが実現されなかったからといって、アーティストの評価をすぐに下げてしまうのはやはり間違っていると思うのだ。

 

ハードルを越えなかったとしても、いつか越えてくるだろうと信じて応援するのがファンという存在なのかなと。

 

そうでなければアーティストの自由な発想を阻害してしまうし、より良い作品が生まれにくくなってしまう。

 

最終的に両者とも不幸になってしまうだろう。

 

尤も、ファンサイドは応援しているアーティストが好みでなくなった時点で、次に応援するターゲットを探せば済む話だ。

 

だが、アーティストはそう簡単にファンを獲得できるわけではない。

 

何より音楽をそんな使い捨ての物のように扱ってほしくないと思う気持ちもある。

 

 

逆に、どんな作品も無条件で肯定してしまう"思考停止"したファンもどうなのかなと思うが、アーティストにとってはそれが一番ありがたい客なのかもしれない。

 

 

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フラットに気持ちで音楽と向き合おう

アーティストの音楽性が変わるなんてことは珍しいことではない。

 

筆者は歌詞に注目しないのであまり気持ちは分からないが、歌詞のメッセージ性が変化しただけで拒絶反応を起こすリスナーも少なくない。

 

特にロックバンドは、言いたいことがあるからロックを鳴らしている。

 

にもかかわらず、ファンの意向で歌詞のイメージさえ固定されるのは本末転倒だなと、いつも冷ややかな目で見ている。

 

すべて肯定する必要はないが、意にそぐわないからといって全否定するのも違うのではないだろうか。

 

いつの時代もそうだけれど「右向け右」や「0か100か」の極端な人間は少なくない。

 

そんな状況の中で活動するアーティストは本当に大変だと思う。

 

 

これは筆者自身への戒めでもあるが、ファンであるならどんな作品もまずフラットに捉えて聴いてみよう。

 

過去と比較するのは別に構わない。でも使い捨てのように扱うのだけはやめていただきたい。

 

他人様の音楽の聴き方にとやかく言いたくはないが、結局はリスナー側にもつけが回ってくる。良い音楽に接する機会が減ってしまうかもしれないのだ。

 

個性的で魅力あふれる音楽がアンダーグランドで燻っているのはアーティストだけの責任ではない。

 

 

まとめ

悪い癖が出てついつい説教くさくなってしまった。

 

まだまだ言いたいことはあるけれど、これ以上ヒートアップすると根拠のない批判になる恐れがあるのでこの辺りで止めておく。

 

 

目の前にある音楽を「固定観念」にとらわれず聴いてください。

 

言いたいのはそれだけ。

 

それではまた。

 

 

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