【常田大希】millennium paradeが売れた理由はリスナーに革命を起こしたから
millennium parade(ミレニアムパレード)
King Gnuのブレインである「常田大希(つねた だいき)」が2019年に結成した音楽プロジェクトだ。
2021年2月10日にリリースされた1stアルバム『THE MILLENNIUM PARADE』は、初週売上42,643枚を記録しBillboard JAPAN Top Albums Salesで初登場3位。
また、ダウンロード数では4,487DLを売り上げ1位に輝くなど破竹の快進撃を続けている。
なぜ彼らは音楽がここまで売れているのか不思議でたまらない。
いや、売れた事に納得していないのではなく単純に"謎"と言う意味で。
そこで今回はmillennium paradeが売れている要因を筆者なりに考察していきたいと思う。
millennium parade(ミレニアムパレード)の音楽性
多種多様な音楽性が混ざり合っている彼らのサウンドはひとつのジャンルで語ることが難しい。
エレクトロニカ、ヒップホップ、ジャズ、常田が元チェリストということもありクラシックの要素まで内包している。もう何でもありのごった煮サウンドだ。
そんな彼らの音楽を各メディアは"芸術的"だと絶賛する。
たしかに一聴すれば荘厳で雄大でいかにも芸術だと感じられる。
YouTubeのコメント欄でも「はじめて芸術を感じた」なんてのもあった。
これらの事柄から、その音楽が”芸術的"であることはmillennium paradeが売れた一因だと考えられる。
で、芸術とは何だろうと思い少し調べてみた。
wikipediaによれば
表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動
を「芸術」と呼ぶらしい。
およそ想像できた意味だと思うが、これに当てはめればほとんどのアーティストは芸術的だと捉えることも出来る。
これは個人の感覚で変わると思うけど、「millennium parade」に匹敵する芸術性を持った音楽はそれほど少なくはないだろう。
そう考えると、仮に「芸術性が評価されて売れた」と言われても素直に納得はできない。
良い悪いは別として、日本は歌と歌詞だけに注目してサウンドの良さに気が付かない、というよりも、そもそもサウンドをしっかり聴こうとしないリスナーが多いように感じる。
したがって、サウンドも含めた総合的な面で、芸術性の高さに気が付いたリスナーがそこまで存在するのかという疑問符が浮かぶ。
よって、彼らの"芸術性"と売れたことの因果関係は希薄だと判断し候補から外したいと思う。
millennium parade(ミレニアムパレード)のメロディ
King Gnuが売れた理由は、楽曲の歌メロが放つ大衆性にあると筆者は考えている。
彼らは、先鋭的で極めて尖ったサウンドにもかかわらず、良質なメロディさえあれば売れるという事を証明した。
これは前項で語った、歌と歌詞しか注目しないリスナーの嗜好にフィットしていると言える。
つまりKing Gnuが売れたことは至極当然であり、90年代から続く数々のヒット曲とやっていることは何ら変わらない。
そこで問題になるのがmillennium paradeの歌メロだ。
こちらの楽曲からはどう聴いても大衆性が感じられない。
流麗なメロディになっている箇所もあるが、日本人が好む所謂「歌謡曲」的なものではない気がする。
ロックリスナーならすんなり受け入れられる作風だと思うけれど、一般リスナーがこれらを聴いて歓喜している姿がまったく想像出来なのだ。
millennium paradeが売れた事とKing Gnuとの関連性
King Gnuはブレイクする以前から現在も「革命的なバンド」としきりに紹介されている。
先述した、90年代にヒット曲を量産した小室哲哉。
小室は、当時の日本では斬新だった「ダンスミュージック」の要素をJ-POPへ完全に定着させた第一人者であり、後の音楽シーンの変遷を鑑みれば、彼の功績は"革命"と言えるだろう。
それを考えると、King Gnuの音楽性が「J-POPに完全に定着した=革命を起こした」とするには早計な気もする。
しかし、ジャンル分類不能な音楽性を、お茶の間レベルに浸透させた功績はある種の革命だ。
なぜなら、完全に定着させずとも「難解なサウンドの音楽を聴く」という行為を日常に溶け込ませたからだ。
それによって、ある程度無茶な音楽性であっても一般層に受け入れられる土壌を自らが作り出したことになる。
それは、リスナーの耳を前衛的な音楽に慣れさせたと言い換えることもできるだろう。
つまり、一般リスナーの音楽の聴き方や価値観を変えてしまった可能性がある。
したがって、King Gnuは音楽界ではなくリスナーに革命を起こしたというのが筆者の考え方だ。
その結果、millennium paradeの難解な音楽性がすんなり受け入れられているのではないだろうか。
「常田大希」というブランド
ただ、前項の考え方では、millennium paradeの大衆受けしない歌ではヒットすることに納得できないという意見も出てくるだろう。
なぜなら、King Gnuが支持されたのはサウンドよりも一般層が好むキャッチーな"歌"の要素があったから。
ではどうしてここまでヒットしているのかと言えば、「常田大希が曲を作った」という安心感・信頼感だと思う。
King Gnuでの実績が「常田大希」というブランドを形成したということだ。
常田の作った曲なら「カッコいい」「良い歌だ」と反射的に評価してしまうリスナーが増えているのではないだろか。
当然これには、前項で述べたリスナーに起こした革命の副産物と考えることも出来る。
ブランディングが成功した常田サイドからすれば「何をやっても売れる」という願ったり叶ったりの状況。
millennium paradeの現在までの音楽的な流れを考えると、今後も先鋭的なサウンドで音楽界を暴れまわることが予想されるが、「常田大希」というブランドが失墜しない限り、リスナーたちは黙っていてもついてきてくれるはずだ。
millennium paradeが売れた理由 まとめ
- 一般層の音楽の聴き方を変えた
- 「常田大希」というブランド
当稿では、この二点が彼らが支持されている理由ということで結論付けた。
いずれにしても、millennium paradeの音楽の素晴らしさは間違いないし、彼らのサウンドが違和感なく受け入れられているという現状にいち音楽ファンとしては素直に喜びたいと思う。
それではまた。
こんな記事も書いています