当ブログは音楽メインの雑記ブログである。
主に洋邦問わずロックについてあれこれ語らせてもらっている。
何様のつもりか偉そうにこんな記事まで執筆した。
要するに筆者はロックが大好きなのだ。
様々な音楽ジャンルがある中で、なぜここまでロックを愛し続けられるのか改めて考えてみようと思い、出した答えが今回の内容です。
現実逃避するためのツール
現実から逃れるためにロックを聴いている。
これが最大にしてたった一つの理由。
筆者は厭世観(えんせいかん)の塊だ。
厭世観とは
自分の生きるている世界は、善よりも悪が多く、穢れ、不実に満ちているという考えに基づき、それを厭い離れようとする考え方や生き方
簡単にいえば「この世はクソだ」という考えに基づいて日常を送り、出来ることなら世の中とは関わり合いたくないと思いながら生きている状態。
基本的に世の中が嫌いだし、他人に対しても同じような感情を抱いている。
自分以外は家族であろうと一切信用していない。
もちろん生きていれば良いこともあるし悪いこともある。人の善悪も然り。
これまでの人生で他人に良くしてもらったことは何度もあるし、少ないながらも幸せを感じる経験もしてきた。
このブログを読んでくれる読者がいることも大きな幸せの一つ。
読者の方には感謝をしてもしきれないほどありがたいといつも思っています。
ただこればっかりは人生の積み重ねが形成しているもので、筆者にしか分からない怒りや悲しみ、やるせなさがある。
余程センセーショナルな出来事が起こらない限り覆ることはないだろう。
厭世観など捨て去ってしまえば今より楽に生きられることも頭では理解している。
とはいえ、仮に家族や愛する人に諭された程度ではもうどうしようもない心の病いなのだ。
ということで、開き直って厭世観と共に生きているわけだが、そんな筆者を支えてくれているのが「ロック」であり、嫌な現実を忘れさせてくれる存在でもある。
ちなみに、記事の趣旨とは異なるけれど、筆者がバンドを始めたのはそもそも現実逃避するためだった。
ロックのサウンド
筆者はロックの中でも「メタル」というジャンルに傾倒している。
ロックに該当するあらゆる音楽に手を出してきたが、メタルは今も特別な存在。
単純に音がカッコいいと感じられるのが一番の理由だけど、上述したように現実逃避するにはピッタリなのだ。
極めて激しいサウンドに乗せ、むさ苦しいオッサンが喚き散らす。
音楽において、筆者はこれ以上現実離れした音や光景は存在しないと思っている。
あくまで個人の感覚だから、これに関して異論反論は認めない。
必ずしもオッサンである必要はないけれど、できれば小汚いオッサンであればあるほどポイントは高くなる。
テクノやEDMも心地よく多幸感に浸れることから、現実を忘れることが出来そうだが、個人的に汚らわしい世俗を連想させる部分があるためロックには及ばない。
ただし、音楽的には単純に好きな部類ではある。
ということで、浮世離れした激しい音楽を聴くことで、日々の生活では味わえない高揚感が得られるのだ。
メタルを例にしているため"激しい音楽"と表現したが、必ずしも激しさが必須というわけではない。
極端な話、目の前にある現実感が薄まれば、フォークロックでもポップロックでも構わない。
ただ、ロックには非現実を味わえる要素が多いと感じているだけで、それは極めて個人的な感覚だ。
ひょっとして、そう思い込んでいるだけかもしれない。
しかし筆者にとっては"思い込ませてくれる"ということが何より重要なことでもある。
いずれにせよ、「現実を忘れるほどの高揚感が得られる」という瞬間が連続している限り、「この世で生きている」というリアルから解放されたような気分になれる。
ロックの歌詞
当ブログでも何度か言及しているけれど、筆者は歌詞を意識せず音楽を聴く事が多い。
その理由は上述した「厭世観」が関係している。
特に「J-POP」のような音楽は、日常を切り取った歌詞がほとんどだ。
恋愛、友情、家族愛、挫折した経験、未来への希望などなど。
それらは筆者にとって邪魔なものでしかない。
そんな歌詞を意識してしまったら即座に現実に引き戻されてしまう。それは由々しき事態であり、できることなら避けねばならない。
※誤解してほしくないのだが、一部楽曲の歌詞が邪魔なだけで「J-POP」自体は大好きだし普段からよく聴いている。滅多にないが歌詞に感銘を受けることだってある。
それらを踏まえるとメタルは都合が良い。
最悪歌詞を意識してしまっても、荒唐無稽なことを歌っている事がほとんどなため、ダメージはほとんどないと言っていい。
ではここで、"メタルゴッド"と呼ばれる「Judas Priest」の名曲「PAINKILLER」の冒頭の歌詞を例に挙げてみよう。
弾丸よりも速く。ゾッとするような叫び声。怒りを満たし燃やす。ヤツは半分人間で半分機械だ。
この現実離れした歌詞の凄まじさは圧巻。
というかダサすぎる。こんなダサい歌詞を書けるなんてある種の才能だと思う。
しかし、このダサさこそ浮世を忘れることが出来る強烈なスパイスとなる。
あなたの周りに「ヤツは半分人間で半分機械だ!」なんて発言する人間はいないだろう。もちろん筆者の周りにもいない。
これくらい非現実的な歌詞の方が何の憂いもなく音楽を楽しめるのだ。
筆者の場合、現実と歌詞がリンクした時点で気持ちの悪い物になってしまう。
ひとつ面白いデータを見つけたので併せて紹介したい。
ここに記載されているよう「悪魔」「灰」「剣」など非メタルミュージックではほとんど使われない単語がいくつかある。
伝説の武器を携えてドラゴンを倒しに行く
といった、本人たちは至って真面目でもギャグにしか聞こえないような歌詞もメタルには存在する。
つまりはそういうことで、メタルの歌詞は、現実から遠く離れた場所へ筆者を連れ去ってくれる世界観を内包しているのだ。だからこそいつも安心して聴ける。
ここまでメタルの話をしてきたが、ロック全体で考えるとまた捉え方が変わってくる。
「直接的な表現」で日常を歌うロックバンドの存在だ。
そういった日常系バンドは、洋邦問わず数えきれないほどいるわけだが、洋楽は基本的に外国語なため、最悪耳に入ってきても瞬時に意味は理解できないからそれほど問題にならない。
厄介なのが邦楽ロックだ。
すべてが「BLANKEY JET CITY」のような詞的で刺激のある表現なら問題はない。
特に昨今の邦楽ロックは、有名どころからインディーズまで日常を飾り気のない言葉で歌うバンドばかりで辟易している。
ただ、音楽業界の動向を鑑みても、共感されやすい歌詞を書かねばならないのは明白。
そうなるとどうしても日常のワンシーンや実生活で感じる心情をありのまま切り取るのが得策だ。
加えて、邦楽リスナーは歌詞をやたらと重視する傾向にあるため、無理やり共感させるには仕方ないことだけどそれでも目に余る。
上でも少し触れたが、他人様の色恋沙汰や、友情を大切にしようだの、今更そんなこと一ミリも興味が沸かないだけでなく、邪魔な存在でしかないのだ。
そんな時のために、邦楽ロックに限ってはサウンドと歌メロを特に意識して聴くようになってしまった。
サウンドに関しては、及第点以上ならほぼカッコよく聴こえるハードルの低さが筆者の特徴なので、我ながらその点はこだわりがなくて助かっている。
余談だが多少の例外も存在する。
明らかに「芸風」でやっていると思われる場合は意外とあっさり聴けてしまうのだ。
ロックだといい例が浮かばないけれど、たとえばJ-POPの権化である「西野カナ」は問題ない。
彼女は綿密なリサーチを基に歌詞を仕上げていると発言していた。
あくまで筆者の想像だが、西野カナは歌詞に登場するような女性像ではないと思っているので嫌悪感は抱かない。
要するに、本気で愛だの友情だのをぶつけてくるアーティストが苦手なのだ。
その歌詞が「芸風」なのか否かは、勝手なイメージで決めてしまうこともあるけれど、誰かに迷惑をかけているわけでもないので今のスタンスで聴いていくつもりだ。
ロックの不良性
かつてロックは「不良」の音楽と言われていた。
現代では「不良」自体がダサい存在だし、すでに言葉として機能していないかもしれない。
それでも筆者はロックに不良性を感じている。
世間から爪はじきにされたロックミュージシャンに惹かれているのだ。
だからといって、元ヤンキーだとかグレていたとかそんな次元の話ではない。
バンドマンの出自はどうでもよく、音からアウトサイダー感が出ていればとりあえず満足出来る。
ロックが醸し出す危険で刺激的な香りがたまらなく好きなのだ。
何かヤバい物を聴いているといったワクワクドキドキ感。
そんなスリルを求め今日もロックを聴き、相も変わらず現実逃避にいそしんでいる。
私がロックを聴くたった一つの理由 まとめ
筆者がロックを聴くたった一つの理由を語ってきた。
厭世観については極めてパーソナルで偏った部分をさらけ出してしまったと思っている。しかし綺麗事は言いたくなかったのでご了承いただきたい。
ますます変わった奴と思われただろうが、筆者の根幹に関わる部分なので、ここを捻じ曲げてお伝えするわけにはいかない。
ということで、変人ですが今後ともよろしくお願い致します。
それではまた。
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