甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)が「今」の音楽、つまり「デジタル世代」の音楽に思う事を、「まつもtoなかい ~マッチングな夜~」というテレビ番組で語っていた。
ヒロトの言葉はどれも核心を突くものばかりで、筆者が常に考えていたことを明確に言葉として表現してくれていたし、新たな気付きも与えてくれた気がする。
筆者が感銘を受けたヒロトの考え方を一人でも多くの音楽ファンと共有したいと思い、備忘録も兼ね記事にしようと思った。
番組の動画をブログに貼りつけるのは著作権的に良くないので、文字起こしという方法を執ったがご了承いただきたい。
そして、ヒロトの発言に対する筆者の想いも併せて書いたのでぜひ読んでみてほしい。
甲本ヒロトが「デジタル世代」の音楽に思うこと
今の若いバンドさんを見て、思う事ってあるんですか?
ちょっとやっぱり時代背景が違ったりだとか、音楽の入手ルートが昔のレコードだとかラジオだったりとかとちょっと変わってきてるじゃないですか今。
それについてなんか感じることってあるんですか?
僕は若い人はみんな良いと思う。
何でかっていうと、その、やっぱ、音楽って何が「良い」か形とか無いんですよ。
結局なんか「やったるで!」っていうその"気合"とか、そんなんが一番大事だと思う。
そういう意味でやっぱ若い人は凄いですから。
で、一つ違うのは、アナログ世代とデジタル世代の違いは、一か所感じるのは
歌詞を聴きすぎ。
あ~~~~~~~~
ほぉ~~~~~~~~
アナログの頃って僕ら音で全部聴いてたから。
だから、洋楽だろうが何だろうが全部カッコよかった。
何を言ってるとか意味とかどうでも良かった。
たとえば僕は、ロックンロールは物凄く僕を元気にしてくれたけど、元気付ける歌詞なんか一つもないんだよ。
関係ないんだよそんなこと。
「おまえに未来はない!」とか歌ってるんだよ。
「No Future for You!」とか。
それ聴いて「よし!今日も学校行こう!」と思って行ったの。
そうか~~~
だから関係ない。
でも、デジタルになると、それがなんかこう「情報」として綺麗に入ってきちゃって、なんか「歌詞」をね「文字」を追い過ぎてる。。。
・・・ような気がちょっとだけする。ん~でもちょっとよ(笑)
「(この歌詞は)どういう意味なんだろう」とかすぐ調べられちゃいますもんね。
それはあるかもしんないすね。
ケータイで音楽聴いてもすぐに歌詞出せたりするんで。
あ~そっか~
歌詞と同時にこう見ながら聴いたりっていうのがやっぱ増えましたね~
やっぱりこう、今のすべてにおいてですけど、完成され過ぎてるところがちょっと・・・不満かなってお笑いに関しても少し思うときはあります。
もっと・・・もっとスベっても良いのに・・・
いやもう、教科書がどこにでも載ってるので。
だから、こう、ぼんやりしてないんですよね。
ぼんやりしてると、どこに焦点合わせるか自分で選べる。
だけど、ペランって一枚にされるとみんなそれしか見れない。
なんかね、デジタルになってからはそんな気がちょっとする。
もっとぼんやり。
筆者が歌詞を重要視しない理由
先程の項目が感銘を受けた部分の引用になる。
当ブログでも度々口にしているけれど、筆者は音楽を聴く上でそれほど歌詞に重きをおいていない。
あまりにもダサい歌詞でなければ内容は何だって構わないと思っている。
下手な日本語詞を付けるくらいならすべて英詞で良いし、何なら「北の国から」のテーマ曲のように歌詞を無くしてハミングのみでも良いくらいだ。
今のスタンスになった理由はいくつかあるけど、"歌詞至上主義的"な現在の音楽業界に対するアンチテーゼが一つの要因。
業界の在り方に加え、リスナー側の歌詞に対する考え方にも不満はある。
音楽の楽しみ方の一つとして歌詞に注目するということは、別に間違ってると思わないし、そもそも音楽の聴き方なんて自由であるべきだ。
だけど、今の状況って少し異常過ぎるのではないかとたまに思う。
歌詞を含めて"音楽"であるべきなのに、歌詞を中心にその他諸々がおまけのような状態で、楽曲を一つの"塊"と捉えて純粋に音を楽しめなくなっているような気がする。
カラオケ文化の隆盛が、リスナーの歌詞に対する考え方を変えた部分もあるかもしれない。そう考えると歌詞至上主義の歴史は結構長いという事になる。
現在は歌詞を考察する類の大手メディアや個人ブログが乱立し、あーでもないこーでもないとやっている。
歌詞を考察すること自体を悪だとは思わないけれど、一般リスナーの歌詞に対する考え方を歪めているかもしれないという部分では、悪しき習慣だと感じる。
その上、SNSのおかげで偏った思考はさらに一極集中していく。
邦楽界のトップを走るYOASOBIなんかは歌詞至上主義の権化のような存在だ。
なんたって小説を音楽にするユニットなのだから。
YOASOBIの音楽は言葉の占める割合がかなり高い。
実際、YOASOBIのMVのコメント欄は歌詞に対する言及ばかりで、サウンドやメロディに関する話題などほとんど上がってこない。
そんな音楽ユニットが天下を獲ったのだから、歌詞の重要性はさらに増してゆくだろう。
これは、YOASOBIの音楽性の善し悪しを語っているわけではなく、筆者の嫌う音楽業界の流れが今後しばらく続くということを憂いているだけなのであしからず。
歌詞の意味が分からないから洋楽は聴かない
という意見を過去に嫌と言うほど見てきたが、あれは本当に可哀想だと思う。
業界が長年かけて形成してきた歌詞至上主義の被害者に他ならない。
すでに手遅れかもしれないが、音楽の聴き方はもっと多様性があっても良いんだということを業界内外から啓蒙していくべきではないだろうか。
そうしなければ偏った思考のリスナーばかりが増え、益々歌詞の重要性が上がってしまう。
それはつまり、歌詞が良くなければ楽曲が正当に評価されなくなるだけでなく、洋楽離れに拍車がかかるのではないだろうか。
尤も、他人様が洋楽を聴かなくなろうが、筆者には何のダメージもない。
ただ、上でも少し触れたが、邦ロックを聴いている若いリスナーが「洋楽は聴かない」という発言をしていると可哀想になってくるのだ。
「世界はこんなにもカッコいい音で溢れているのに」と。
大きなお世話かもしれないが、いち音楽ファンとして心からそう思う。
ヒロトが言ったように音楽なんて「ぼんやり」で良い。
なんとなく良いなと思えただけでも本来は素敵なことだと思う。
むしろ、歌詞を一旦置き去りにして音楽をぼんやり聴いた方が、余計な先入観や壁がなくなる。
そのあとに歌詞を味わったって遅くはない。
そうすると様々な音楽をフラットに楽しめるようになるので、結果的に音楽の幅が広がるのだ。
これを読んでいるあなたには、「ぼんやり」と音楽を楽しむことをおすすめしたい。
それではまた。
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