ひと月ほど前にYOASOBIに関するとあるツイートがネットを賑わせていた。
アルバム通してちゃんと聴いた。この気恥ずかしさは嫌いじゃないんだけど、このビートの単調さと音色・音圧のショボさが世間で許容されてるのはちょっと信じたがたい。少なくとも家のスピーカーで聴く音楽じゃないですね
— 宇野維正 (@uno_kore) January 18, 2021
THE BOOK by YOASOBI https://t.co/3by0Aqozun
上記の宇野維正氏は音楽ジャーナリストをやられている方で、『ROCKIN'ON JAPAN』『Cut』なんかで編集を担当していた過去もある、この界隈ではかなりの大物である。
で、このツイートは要するに、YOASOBIの音源に対する宇野氏の評価なんだけれど、見る人によってはすごく批判していると捉えられても仕方ない内容になっている。
誰もが想像できると思うが、このツイートを巡って賛否両論が巻き起こった。
超同感でございます。僕も聴いててキツかったです。今ってこのレベルなんすね。。
— モモタライト (@momotawright) January 18, 2021
私もこれで行けるのか...と衝撃を受けました。そして普段からの拘りや手間を捨てるキッカケともなりました。意図的にMIXレベルを落として、二次創作を誘発する戦略なのでは、とも考察したものです🤔
— いさじゅんせいP_sub (@isajunseisub) January 19, 2021
世間に許容されてるんで、気恥ずかしくもない良い音楽として認知されてますけどね。
— INA村 左膝靭帯修復中 (@ina17b) January 24, 2021
音圧のショボさってどの辺を記述してるんですか?
ビートの単調はまあ電子音楽、テクノからの流れがあるのでそんなもんだと思いましたけど。
少なくとも私は家のスピーカーで聴いてて気持ちの良い音楽でしたね。
世間で許容されてるのを信じがたいほど、その世間と感覚が離れてるって事じゃないっすかねえ⁉️
— ちゃうんや 備蓄は適宜補充を。 (@uEhcJcGVcY92Z23) January 19, 2021
まあ貴方ほど高尚なセンスしてないんですけどね😆
外野の意見に関しては、言いたい放題言ってて宇野氏がおもちゃにされてるという感想しか抱かなかったけれど、結局売れているアーティストの音に対する認識って今も昔も変わらんなというのを強く感じた。
そう思わされたのが以下の内容のツイート。
スマホで聞くんだからあれでいいんですよ
— やまだっち (@yamaddacci) January 19, 2021
様々な感想を持つのは個人の考えです、ただ多くの人がスマホを通して聴いているという事実があって音質音圧の良さを競いあう時代ではないということなのかもしれないですね。
— moyamoyamoyasi (@moyamoyamoyasi1) January 21, 2021
これに類似するツイートをいくつか見つけたんだけど、要はスマホで音楽を聴く時代だから音圧やらビートやらはどうでもいいという意見。
以下も時代に絡めて語っているツイート。
もともとJポップの音楽が特別複雑なだけで世界の多くは単調。
— シンサマ (@wtjptlnryudkd) January 19, 2021
まして家で最高品質の音楽を嗜むことに必要性はない。
高品質のものを楽しんでほしいのは、よくある現代日本の作りてのわがまま。
それを作り手は気づいて。今は令和です。昭和じゃないよ。
YOASOBIは令和の音楽だからこのままで良いという意見。
筆者はこれらの考え方に違和感を覚える。
そもそも、大衆に支持される音楽は本来サウンド云々で評価されることは少ない。
宇野氏はYOASOBIの音が世間で許容されている事実に疑問を呈しているが、世間一般というのは元々そんなものだ。
おそらくYOASOBIは、時代性を考慮して緻密にサウンドを構築していたに違いない。
したがって、結果的に宇野氏にはチープだと評価されたが、本人らは自信を持って楽曲を世に送り出したのだと筆者は考えている。
時代が求めるなら、さらにチープにしていたかもしれないし、仮にYOASOBIが現状より酷い音だったとしても、今以上に売れたり世間に許容されていた可能性は十分ある。
以下のツイートが非常に分かりやすい。
俺音楽知らんから細かい事分からんけどYOASOBIは最初に聞いた時言葉では説明できない感覚で惹かれた、本当に人の心を動かす音楽を言葉で説明ってできないんじゃね?分からんけど
— ちゃんぺる (@bangohanhagouka) January 21, 2021
まぁでもAyaseさんとりらちゃんコンビの歌は宇野さんがどう言おうと世間には好かれるで
このように、大衆音楽は音楽に詳しくないライト層へ「何となく良いな」という感覚を与えることに長けた音楽のみに得られる称号だと思う。
音の"善し悪し"で音楽を語るような人間は、筆者も含めた一部の音楽バカだけで、一般的なリスナーは音圧がどうとかビートがどうとか全く気にしていないだろう。
ついでに言えば、"心が動いた" "惹かれた"という体験を、言葉で説明しようとするのも音楽バカの特徴だ。
逆に、言葉でうまく説明できない人間に、音楽の素晴らしさを伝えられるのは大衆音楽の凄さだと思っている。
勘違いしてはいけないが、心惹かれた体験を言葉で説明できないことは、決して劣っているわけではない。言葉で説明したところで筆者のように表現力が乏しく、結果的にうまく伝えられない人間もいる。要するにうまく伝えられる方法を知っているか知らないかの違い。
少し脱線したが、瑛人がブレイクした際、香水のサウンドに言及していた人間が少なかったように、世間の音に対する関心などその程度なのだ。
LDHやAKBグループでも同じことが言えるはず。
こうした一般リスナーの音に対する無関心は、昔から変わっていないと思う。
小室ファミリーが隆盛を極めていた頃、そのサウンドに心から感銘を受けていたのは、熱心な小室信者くらいのもので、流行歌として聴いていたリスナーからすれば、小室哲也のサウンドに対するこだわりなどどうでも良かったに違いない。
時代にフィットした音楽性で、ノリが良く歌詞に共感できればサウンドは二の次。
だから仮に、YOASOBIが次の作品でさらに音圧を下げてきたとしても一般リスナーに与える影響はほとんどないだろう。それに噛みつくのは一部の音楽バカだけだ。
YOASOBIが、歌詞の世界やメロディの雰囲気をガラッと変えない限りは許容され続けるのではないだろうか。
YOASOBIへの音楽的批判とアーティストの音に対する認識 まとめ
ということで、YOASOBIに関するツイートからアーティストへのサウンドに対する世間の認識について語ってきた。
本音を言えば、こだわるべきジャンルに限り、じっくりサウンドを味わってもらいたいが、こればっかりは個人の自由なので好きな音楽を好きなように楽しんでもらえればいいと思う。
それではまた。
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