ラルクアンシエルが、NHKの歌番組「ポップジャム」の収録中にブチ切れ、そのまま帰ってしまった
という、まるで都市伝説のようなエピソードがある。
今回は「ラルクのポップジャム事件の真相」を中心に語っていきたい。
ラルク ポップジャム事件の概要
ラルクのポップジャム事件を知らない方のために、簡単に概要だけ。
1999年4月19日NHKホールにて収録。
事の発端は、演奏前のトークを収録していた際の出来事。
当時のラルクアンシエルは、新作のプロモーションで、メンバー4人が坊主頭になるという凄まじいインパクトの広告が発表され大きな話題になっていた。
出典:Timeslip
この広告をネタにしようと考えたポップジャム側は、ビジュアル系を彷彿させる長髪のカツラを用意する。そして、カツラをかぶらされた爆笑問題の太田光が、ラルクのメンバーへ質問を投げかけた、、
「ビジュアル系のみなさんから見てどうですか?」
この「ビジュアル系」発言がラルクメンバーの逆鱗に触れ、本来は続けて2曲演奏するはずだったが、1曲のみで切り上げ会場をあとにする。
メンバーの中でもtetsuya(B)の怒りは相当なもので、1曲目の演奏が終わった途端、ベースを投げつけ舞台袖に引き上げたとも噂された。
以上が、「ポップジャム事件」のだいたいの概要である。
「ヴィジュアル系」と呼ばれたくなかった「tetsuya」が中心人物として語られることが多いこの事件。
ではいよいよ、次の項目から真相を語っていこう。
ラルク ポップジャム事件の真相
「テレビ収録の途中で怒って帰る」という、にわかには信じられない事件。
この騒動の真相のいくつかが、当事者であるtetsuya自身が書いた著書「哲学。」にて語られている。
太田光は何を発言したのか?
「ビジュアル系」というワードは出しているものの、実際のエピソードは少し違っていた。
ラルクメンバーの顔写真を用意し、モーフィングを使って髪型をいじり、出来上がった写真を見て笑おうという趣旨のコーナーがあった。
その際に出来上がった、hydeの「お坊さん」のような写真を見た太田がツボにはまり「新しいビジュアル系だね(笑)」と発言したのが真相である。
本当に収録途中で帰ったのか?
本当に途中で帰ってしまったそうだ。
ただ、噂の部分にはいくつか誤りがある。
まず「続けて二曲収録する」といった部分が間違い。
当時のポップジャムは三本撮りで、ラルクは三曲演奏する予定があった。
といっても、三曲続けて収録するのではなく、一曲演奏が終わるたびに、別のアーティストの収録もいくつか挿みつつといった感じで進められていたようだ。
当日の流れ
一曲目の収録
↓
トークコーナー (ここで事件発生)
↓
二曲目の収録 (tetsuyaキレて楽屋へ戻る)
↓
三曲目の収録 (tetsuyaが拒否し行われず)
噂で言われている、"続けて演奏するはずだった二曲目"をやらずに帰ってしまったわけではない。
予定通り舞台袖に引き上げたということだ(その後、演奏するはずだった三曲目の出演を拒んだのだから結果としては同じようなものだが)。
何に対しtetsuyaはキレたのか?
「ヴィジュアル系」というワードが癪に障ったのは間違いないけれど、そもそも爆笑問題に怒りを向けていたのではなかった。
「ラルクアンシエル」というバンドの扱い
に関して、ラルクのスタッフサイドが、ポップジャム側へ正確に伝えていなかったことが怒りの根本。
「ラルク側のスタッフに対する不満が大きかった」
と、tetsuya自身も発言している。
ラルク側のスタッフは本当に伝えていなかったのか?
ラルクのスタッフは、ポップジャム側へその旨しっかりと伝えていたようだ。
では、なぜこの事件が起こってしまったのか?
これは単純な理由で、ポップジャムのスタッフが原因である。
爆笑問題の二人に「ヴィジュアル系」がNGワードだと伝えていなかっただけ。
某掲示板などでは、tetsuyaや太田光に非難の声が集中していた他、さまざまな憶測をよんでいた。
しかし、本当に責められるべき犯人はポップジャム(NHK)である。
tetsuyaの大人げない振る舞いもたしかに問題だが、事前にNGであることを伝えていたのだ。
それを考えれば、段取りを怠ったポップジャム側の責任は大きいだろう。
なぜtetsuyaはビジュアル系を嫌うのか?
tetsuyaは、ヴィジュアル系にカテゴライズされることで「音楽を正当に評価してもらえなくなる」といった旨の発言している。
これこそ「ヴィジュアル系」と呼ばれたくない大きな理由なのだろう。
実際「ヴィジュアル系バンド」に対し、色眼鏡で見たり毛嫌いするリスナーは今もたくさん存在する。
そもそも、ラルクのデビュー当時は「ビジュアル系」という概念自体なかったらしい。
それは、同時期にデビューした清春(ex-黒夢)がテレビ番組で発言していたので間違いないはず。
元々存在しなった”ジャンル”へカテゴライズされるだけでなく、そのジャンルは「音楽的な評価もされづらい」という、最悪な「おまけ」までついているのだ。
今では当たり前の概念だけど、当時の感覚なら耐えられないと思っても無理はない。
それに、今以上にヴィジュアル系への偏見も強かっただろう。
ラルクはそんな状況の中で、何年も音楽活動を続けてきたのだから、tetsuyaが我慢できない気持ちも少しは理解できる。
ただ、もう少し大人になっても良かったのではないか。
ロックたるもの「つっぱってナンボ」といった部分もあるにはある。
ただ、時代を考慮しても「ヴィジュアル系」の恩恵で売れた側面が多少なりともあったはずなのだ。
ヴィジュアル系と呼ばれてもいい。音で納得させる。
くらいの気概でやってもらいたかった。
なお、ポップジャム事件の真相については、爆笑問題もラジオで語っており、文字起こしされたサイトがある。tetsuyaと太田光の具体的な楽屋でのやり取りなど、さらに詳しく知りたい方はそちらもご参照ください。
爆笑問題・太田、L'Arc~en~Ciel『ポップジャム』途中退席事件の真相をついに明かす「NHKに対しての抗議の意味だった」
それではまた
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