プロとアマチュアの違い。決定的な差はたった一つだけ 【楽曲編】
プロフェッショナルとアマチュアの生み出す「楽曲」には、圧倒的な差や違い存在する。
今回はそれを決定付けるたった一つの差を元バンドマンである筆者が語っていきたい。
そして、それに付随して影響する様々な事柄についても併せて述べていく。
当稿はあくまで「楽曲」におけるプロとアマの違いを解説している。
したがって、他の音楽ブログなどで語られる、お金や技術に関した話題は最小限にとどめたい。需要があればまた別の機会で詳しく語ってみたいとは思っている。
ちなみに、誤解されやすいが「インディーズ」は「アマチュア」ではない。
会社で喩えると
メジャー ⇒ 大企業
インディーズ ⇒ 中小企業
もちろん例外はあるが、この考え方で大概のことは説明できる。
ではアマチュアはどういった立場の人間かというと、どちらにも属していない、いわば「趣味」で音楽をやっているような者のこと。
これにも例外があり「アマチュア(趣味)」でありながら、メジャー並みに稼いでいる人間だってごまんといる。例外を挙げればキリがないし、記事の趣旨とは異なるためこの辺りにしておこう。
楽曲以外におけるプロとアマの違いとは?
ではまず「楽曲」以外でプロとアマを分けるボーダーラインを語っていきたい。
音楽で飯が食えているかどうか
言いかえれば、音楽で生活に困らない程度のお金が稼げていれば「プロ」と呼んでいいということだ。
上で挙げたアマチュアにもかかわらずプロ以上に稼ぐ人間は事実上は「プロ」になる。
しかし本人が趣味で音楽をやっていると言えばそれはアマチュアと捉えることも出来るが客観的にみればそれはプロ以外の何物でもない。
この辺りは非常に曖昧だが難しく考える必要はない。とにかく「音楽で食っていければプロ」という認識で間違いない。
演奏力の違い
演奏力がプロとアマを分ける要素だと勘違いしている人間がいる。
結論からいえば、演奏力は全く関係ない。
前項でも述べたが、歌や楽器がプロ並みに上手くても、それで飯が食えなければ単なる「上手いアマチュア」だ。
逆にアマチュアであっても演奏力の高いプレイヤーはゴロゴロしている。
近年では「弾いてみた」「叩いてみた」といった、素人が投稿する動画の存在が珍しくない。そういったプレイヤーの中には、それこそ「プロ顔負け」のスキルを持った者も多数存在し、動画投稿をきっかけにプロの道へ進むことも少なくない。
つまり
- プロ ⇒ 演奏力が高い
- アマチュア ⇒ プロに比べ演奏力が劣る
こうした考え方はいっさい通用しないということ。
逆の考え方をするならば、第一線で活躍するプロであっても、歌唱力がなかったり楽器の演奏が極めて下手な場合もある。
ライブで下手ならまだしも、音源でさえヤバいアーティストだって珍しくない。
SNSでも
プロのクセに演奏下手すぎだろ
といった旨の発言をよく見るが、プロである事と演奏力はまったく相関性はない。
当然上手いに越したことはないし、演奏力が問われるスタジオミュージシャンや、ライブでのサポートなど、アーティストの立ち位置によっては演奏力がプロか否かを分ける場合もある。
しかしそれは、楽曲自体が「プロ」なのか「アマチュア」なのかを分ける指針にはならない。
ここまでを読んで理解できたと思うが、演奏力の差でプロとアマの違いは語れないということだ。
では次項から、楽曲におけるプロとアマの違いがどこにあるのかを語っていきたい。
楽曲におけるプロとアマの決定的な違いとは?
メロディの違い
まず結論から述べてしまうが、楽曲におけるプロとアマの決定的な違いは、メロディが良いか悪いかだ。
この後の項目でも触れていくつもりだが、レベルアップするにしてもいつか限界が訪れるステータスがある。それがメロディを生み出す能力だ。
最終的には持って生まれた資質、言いかえれば「センス」が大きく関わる世界なのだ。
たとえば、楽器の演奏は努力次第でプロ並みのスキルを得ることが出来る。
なぜなら楽器を演奏するということは物理的な運動だからだ。
絶対に不可能だと思っていたプレイも、遅かれ早かれ反復練習をすればいずれ身に付くと思っている。
「楽器がうまく扱えないのは才能(センス)がないからだ」
などと言っている人間は単なる甘えだというのが筆者の持論だ。
それに対しメロディメーカとしての能力は、もって生まれた才能であったりセンスが必要不可欠。そうした感覚は伸ばそうと努力して一生を捧げても身に付かない者だっている。
尤も、音楽理論を学んだり、過去のヒット作を分析することで良いメロディを生み出せるとは思うが、そっくりそのまま流用することはできないのだから、最低限のセンスは絶対に必要だと思う。
ではプロと呼べる「良いメロディ」の定義を決めていきたい。
こればかりは人それぞれ感覚によって違ってくるだろうが、無理やり定義付けするならば、
「不特定多数の人の心に響くメロディ」
が相対的に良いメロディではないだろうか。
誤解しないでほしいのは「大衆に支持されるメロディ」は、必ずしも売れている曲のことではない。
世の中には埋もれた「良いメロディ」などいくらでも存在している。
ただ、聴いてもらう機会に恵まれていないだけなのだ。
したがって、売れないアーティストや作曲家が即プロ失格かといわれたらそれは違う。
逆に、現状はアマチュアであっても、良いメロディを生み出せるアーティストもごまんといるだろう。その場合は、立場上アマチュアなだけで、持っているポテンシャルはプロと呼んでもいい。
たとえば、昨日までアマチュアだったアーティストが、何かのきっかけで多くの人に楽曲を聴いてもらえた。その結果、瞬く間にブレイクするケースもある。
近年では香水でブレイクした「瑛人」などはこれに該当するパターンだ。
つまり、元々「プロ」としての資質を備えていたということになる。
ここまで語ってきた「メロディ」とは、ボーカルの歌う「歌のメロディ」だけの話ではない。インストゥルメンタルのような歌の存在しない楽曲形態にも同じく当てはまる。
要するに、リフをはじめとする各種フレーズも「音」で構成されている以上「メロディ」と呼べる存在なのだ。
上記のような「楽曲」を構成するありとあらゆるメロディを高いクオリティで生み出せる人間こそ「プロ」と呼ぶにふさわい。
そして「メロディ」の分野で卓越したセンスを持つアーティストは、楽曲制作全般においてもプロと呼べる仕事ができる。
楽曲全体の構成力
上項にて「良いメロディ」こそ、楽曲におけるプロとアマの違いだと述べてきた。
良いメロディを生み出す能力は楽曲構成の面にも活かされる。
優れたメロディメーカーは、楽曲全体をひとつの「メロディ」として捉え、最適解の構成にすることが出来るのだ。
どんなジャンルでも構わないが、デモをとりあえず一曲作ったと仮定する。
出来上がった楽曲をひとかたまりのメロディとして捉え、違和感のある箇所を適切に修正できるのがプロだ。
ここでのポイントは、楽曲全体をひとつのメロディとして捉えられるかどうか。
たとえば、曲全体に対しサビが弱ければ、サビのメロディだけを集中して手を加えればいい。
「そんなの当たり前でしょ」と思うかもしれないが、センスの悪い人間にはそれができないから曲がつまらなくなる。
全体を俯瞰で捉えられないアマチュアは、どこを修正すれば曲がより良くなるのか分からないのだ。そもそもセンス自体が足りていないのだから、デモを聴いた段階で違和感を覚えることもないだろう。
まったく不整合なのにそのまま仕上げてしまうから、結局はバランスの悪いものが出来上がる。
アレンジ力の違い
アーティストそれぞれに作曲方法の違いはあれど、最終的には骨組みだけの曲に肉を付けていく「アレンジ(編曲)」といった作業が必要になる。
アレンジの出来如何によって楽曲の印象は大きく変わってしまうため非常に重要度が高い項目だ。「編曲家」という職業が存在していることからもそれは明白である。
そういった「アレンジ力」にもプロとアマの違いは当然存在する。
メロディを生み出す能力と同様に最終的にはセンスが物を言う分野だろう。
ちなみに「編曲」のみでプロになれる人間は一握りだけだ。
通常はプレイヤー、作曲家などと兼業でこなす場合がほとんどで、特に現在の音楽業界はその傾向にある。したがって「編曲家」は"編曲"に関して人並み外れた能力を持っていると思った方が良い。
でも結局、編曲家はメロディを作らせても一流だと思うし、どこまでいっても「メロディ」はプロに欠かせない要素なのだと思う。
楽曲におけるプロとアマの違い まとめ
というわけで「楽曲」という対象に絞ってプロとアマの違いを語ってきたがいかがだっただろう。
メロディの良さ
こそがプロとアマの曲の違いという事になる。
楽曲を構成する多くの部分に影響を与えるのが「メロディ」だという事だ。
それではまた。
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