音楽に優劣はある。~音楽が価値ある存在である限り~
先日「音楽に優劣はあるのか?」と考えていた。
以前から何となく頭の片隅にあったぼんやりとした疑問だったのだが、自分なりに答えを出して記事にしようと思い今に至る。
で、出した答えは「音楽に優劣はある」
音楽に優劣はある
いきなり言い切ってしまったが、筆者は音楽に優劣はあると思っている。
同じ芸術のカテゴリに入る映画や絵画の世界にも優劣は存在していると思うので、ほぼ同じような理由で音楽にも優劣があると思っている。
ではここから音楽に優劣はあると考える理由を語っていきたいと思う。
Yahoo知恵袋でも、音楽の優劣に関する質問がいくつかあって、回答をいろいろ見たけれど、まとめると以下のような意見になる。
音楽に優劣などない。聴く人によって好き嫌いがある。
この考え方は、一見納得できるような気もするけど、最終的に「優れている or 劣っている」ではなく「好き or 嫌い」の話になっているから、そもそも論点がずれていると思う。
つまり、嗜好と優劣の区別がついていないという事。
音楽を聴いて、「優れている」と感じる事と、「好き」と感じるのは別だと思うのだ。
たとえば、『米津玄師』の曲と、今日初めて作曲をした『無名の素人』が作った曲を比較して、素人の方が好きと感じた人がいたとしよう。
それは別に何も問題はない。
人の嗜好は千差万別だからだ。
ただ、『米津玄師』より『素人』の方が優れていると感じた場合は話が変わってくる。
いや、優れていると感じても良いのだが、優劣を語る場合は、
- なぜ優れているか?
- なぜ劣っているか?
を根拠に基づいて答えを出さなければいけない。
- 好きだから優れている
- 嫌いだから劣っている
では優劣を付けたことにならない。
仮に、根拠に基づいて何人かが優劣を決めたとしても、個人間で最終的な判断に差は出てくるだろう。
同じ対象を批評する際に、ある人は優れていると主張しても、ある人は劣っていると主張するはず。
この辺りが「音楽に優劣はない(優劣が付けられない)」と言われている所以でもある。
また、優劣を付けると言っておきながら、結局は「好き嫌いで判断してるだけじゃないの?」と感じる人間もいる。
「じゃあ好き嫌いではなく、しっかりと優劣を決めましょう」
となった時に、明確な判断基準をどこに設定するのかが、優劣を決める際には重要になってくる。
筆者は音楽すべてに精通しているわけではないので、優劣を決める基準など到底思い浮かばない。
音楽に優劣はあると思っているのに、悔しいかなそれを決めるための明確な基準は思い浮かばないということだ。
比較したいアーティストが影響を受けた音楽ジャンルの歴史、お互いの商業的な規模、単純なリスナーの数など、優劣を決めるための要素は多岐にわたる。
そして、今挙げた表面的な判断基準など氷山の一角でしかない。
逆に、音楽に関する知識や経験が豊富で、頭の中が優秀なデータベースのようになっていて、どんな比較対象にも対応できる人間なら優劣の判断が出来るのではないだろうか。
仮に「音楽」という物が"個人の感覚だけ"で作られた存在なら、「好き or 嫌い」という基準だけで優劣を判断して構わないかもしれない。
だが実際はそうではない。
アーティストが持つ感性に加え、音楽的な経験から来る、能力や技術の結晶でもあるからだ。
特に技術なんてものは顕著に表れる部分で、音楽の場合は、聴くことで優劣が付きやすい要素でもある。
つまり、優劣を決めるために必要な指針の一つになりえるということだ。アーティストの能力も然り。
もちろんそれを判断するのは、音楽に精通した人間という条件付きではある。
また、"今ここにある"ということは、その時代でなければ生まれなかった作品である可能性が高い。
優劣を語るなら、作品が生まれてきた時代的な背景、アーティストの辿ってきた背景、それに伴って身に付けた能力、技術まで加味する必要があるだろう。
ジャンル間の優劣はない
先程までは、「音楽に優劣はある」という話で進めてきたけれど、それはあくまで極々狭い同じジャンル内で比べた場合の話である。
たとえば「ロック」と「テクノ」で優劣は語れない。
ここまで大きな括り同士で比較することはナンセンスである。
また、「ロック」を細分化した場合も、「パンク」と「メタル」程度のジャンル分けでは優劣は付けられない。
では、同じパンク同士なら比較できるのか?というとそうでもない。
「セックス・ピストルズ」をはじめとする「ロンドン・パンク」と、「グリーンデイ」のような所謂「ポップ・パンク」は同列に語ることはできない。
さらに「ポップ・パンク」同士であっても、「グリーンデイ」と「オフスプリング」とでは音楽的な質感はかなり異なる。
したがって、音楽を比較する際は細分化できるギリギリまで対象ジャンルを狭める必要があるのだ。
だが、異なるジャンルのアーティスト同士で、優劣を付けたがる人間は思いのほかいるもので、最近のバンドで例えるなら「King Gnuとヒゲダンどちらがいいですか?」と質問しているようなタイプの人だ。
「King Gnuは良いけどヒゲダンはクソだね」みたいなのも同義。
好き嫌いを語るのは個人の自由だから構わないけれど、一方がクソかどうかは、上述したような細分化された同じジャンル内でなければ判断してはいけない。
そもそも基準が違うのだから判断できるものでもない。
「ワンピース」と「サザエさん」を単純に比較して「ワンピースの方が優れている」と言っているようなものだ。当然そんな人間はいないし、いたとしたも馬鹿にされるのは目に見えている。
漫画/アニメ、映画などは、大抵の場合同じジャンル内で比較できているのに、音楽になると異なるジャンル同士でも平然と比較対象にする。
その原因は、「King Gnu」と「Official髭男dism」を「J-POP」という広すぎるジャンルで捉えているからに他ならない。
ジャンル間の比較の際に述べた、音楽を比較する際は細分化できるギリギリまで対象ジャンルを狭める必要があるというのはここに繋がってくる。
さらに、流行のサウンドや歌詞など「時代性」も加味しなければならないため、世代が離れすぎた場合は、同一ジャンルであったとしても単純に優劣は付けられないだろう。
音楽に優劣はある まとめ
昔から「優れた作品は必ず批評できる」と言われている。
音楽における「批評」とは、時代性や社会性、アーティストの能力、技術、感性その他諸々を、総合的に分析し善し悪しを決める行為だと当稿で定義付けた。
批評できる対象が複数あれば、そこに優劣が存在するのではないだろうか。
逆に、批評も出来ないような作品は「好き or 嫌い」のみで判断される価値のない存在だとも言える。
批評されるという事は、それだけ人々が分析し語り合いたい魅力に溢れているということだ。
音楽が批評に堪えうる「価値ある存在」であり続ける限り、そこに優劣は存在する。
筆者はそう思います。
それではまた。
こんな記事も書いています