邦楽はダサいのか?洋楽と優劣が存在するのか元バンドが考えてみた
音楽界には二つの大きな派閥が存在する。
邦楽派 vs 洋楽派
あなたはどちらの派閥に所属しているだろう。
筆者はどちらかといえば洋楽派だが、それはたまたま好きなバンドが海外勢に偏っているだけで、邦楽アーティストも色眼鏡で見ることなく聴いているつもりだ。
当稿では、ダサいと言われがちな邦楽と、聴いているだけでお洒落なイメージのある洋楽、これらの対立構造から筆者の考えをあれこれ語っていきたいと思う。
邦楽はダサいのか?
邦楽を目の敵にする洋楽派の主張で目立つものといえばこれだろう。
「邦楽はとにかくダサい」
・日本語詞がダサい
・サウンドがダサい
・アレンジがダサい
このように、邦楽は洋楽派に言われたい放題である。
個人的に邦楽はダサくないと思っている。
だが、邦楽の中にもダサいものはある。
何が言いたいのかいうと、
ダサい音楽をやっている奴がダサいだけ
そこには邦楽も洋楽も関係ない。
洋楽だろうが、ダサいものはダサいのだ。
だがここで大きな問題が浮上する。
"ダサい"の定義はいったい何だろう?
ダサい音楽の定義とは?
当然だが、この問いに答えなんてあるわけがない。
人それぞれ"ダサい"と思う感覚は違うのだから。
筆者の大好きな「メタル」というジャンル。
普段から洋邦問わず愛聴するジャンルだが、一般的にメタルは圧倒的にダサい音楽と思われている。King GnuをBGMにするようなスイーツ女子の嗜好とは正反対の位置に存在するだろう。
良い年したオッサンが、流行とは無縁のファッションに身を包み、極めてやかましいサウンドを演奏する。これをダサくないと言う方が無理という話だ。
わかっている、メタルは圧倒的にダサい。
だが私は、サウンドはもちろんのこと、メタルを形成するあらゆるダサさも含め、すべてを愛している。あのダサさがなくなってしまったらメタルを聴かなくなるかもしれない。
これは、筆者が特別変わっているという事でもない。こうした偏屈者は世の中を探せばいくらでも存在するだろう。
多くの人が認識している「ダサい」の物差しを持っていない変わり者である。
邦楽をダサいと主張する人間も、けっして間違っているわけではない。
その人の物差しでは、邦楽が絶対的にダサいものなのだろう。
邦楽を支持する層も根本は同じだと思う。
結局のところダサいか否かは、人それぞれの物差しで決まるのであり、そこに他者の考えが入り込む余地はない。
邦楽、洋楽で区別することに無理がある
そもそもの話になってしまうが、どちらがダサいという話の前に、「邦楽」「洋楽」をたった二つのカテゴリに分けて議論することに無理がある。
一口に「邦楽」「洋楽」といっても内包するジャンルは多岐に渡るのだ。途方もない数のジャンル同士をそれぞれ照らし合わせるなんて不可能だ。要は、単純に比較が出来ないから、どちらが優れているかという判断も簡単に下せるわけがない。
仮に同ジャンルで比較しても、アーティストによってクオリティは様々だ。たとえば、メタルというジャンルをとってみても、海外で評価されている日本のバンドはたくさん存在する。一方でどうしようもなくダサいメタルバンドもいる。それは海外のバンドも然り。そういった事実を確認できる時点で、一概にどちらが優れているとは言えないのである。
洋楽は邦楽より優れているのか?
邦楽は洋楽の焼き直しだとよく言われる。
そんなことは歴史を鑑みれば当たり前のことだし、だからどうしたというのだ。
何かに影響を受けた音楽が劣っているなんて誰が決めた。
それを言いだしたら、洋楽アーティストの中には、邦楽からインスパイアされることもあるし、やっていることは邦楽アーティストと変わらない。人類が誕生して、一番初めに音楽を生み出した人間以外は、完全オリジナルな音楽など生み出せるわけがないし、誰しも先人の影響を少なからず受けている。その中で自分なりのオリジナリティを出しているに過ぎない。
ただし、ジャンルによって優劣がつく場合もある。
すこし極端な例だが、演歌という音楽ジャンルは邦楽独自のもので、同じ方法で洋楽アーティストが曲を制作しても、本家を超えることは難しいはずだ。
逆にロックの分野では、洋楽に分があるのは誰の目にも明らか。だからといって、即邦楽はダメだということにはならない。海外のロックを踏襲しつつ日本独自のエッセンスを加えた楽曲をいくつも生み出し、それが海外でも評価されている。
結局、それぞれの国で一長一短あるわけで、邦楽と洋楽を単純に音楽性で二分して考えることは不可能なのだ。
邦楽はダサいのか? まとめ
邦楽と洋楽を比較することに意味はないという事がお分かりいただけただろうか。
エアロスミスは洋楽だからカッコいい
B`zは邦楽だからダサい
こんな考え方が一番ダサいという事だ。
つまり、大した根拠もなく邦楽を否定する洋楽好きは、音楽性から目を背けイメージで語っているに過ぎない。本当に良い音楽との出会いを自ら放棄する行為だ。洋邦の垣根を越えフラットな姿勢で音楽と向き合うべきである。
それではまた。
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