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「アイドルの枠(域)を超えた」はアイドル歌手に対する最大の侮辱

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「アイドルの枠(域)を超えた」

 

上記に類似する表現は、ネット記事をはじめ大手メディアでもよく使われるタイトルである。

 

「枠を超えた」という言い回しは、その対象が持つとされるポテンシャルを超えた行動を起こした際に使わることが多い。

 

常識的に考えた場合、「枠を超えた」という表現は、その対象を褒め称える場合に使われる。したがって、「枠を超えた」と表現された側は本来なら喜ぶべきだし、表現する側もそういう意図で使っている。

 

 

だが、その対象を限定することで「枠を超えた」は失礼な表現になる。

 

今回取り上げている「アイドル」もその対象のひとつ。

 

 

 

 

「枠を超えた」と表現するからには、対象には「枠」という物が存在している。

 

多くの人が「○○はこうだろう」と漠然と捉える、いわゆる「パブリックイメージ」だ。その「パブリックイメージ」が対象のポテンシャルを決定付けることとなる。

 

そのポテンシャルを凌駕した場合「枠を超えた」と表現するのだ。

 

 

 

では、なぜアイドル歌手に対し「枠を超えた」と表現するのが侮辱に値するのか。

 

 

分かりやすくするために、まず、失礼ではない場合の例を出したいと思う。

 

 

先程「枠」の話をしたが、異なる「枠」同士で比較する場合は、失礼には当たらない。

 

たとえば俳優。

 

俳優という職業の人間は、時にバンド活動をすることがある。

 

 

大森南朋「月に吠える。」というロックバンドでボーカルギターを担当している。他には山田孝之綾野剛が「THE XXXXXX」として(現在は活動終了)、塚本高史が「満心創痍」でバンド活動をしている。まったくの余談だが俳優のバンド活動は意外と盛んなのだ。

この場合、「俳優の枠を超えた大森南朋と表現することが出来るが、これは失礼には当たらない。

 

「枠を超えた」という表現がアイドルに対しては失礼であり、俳優に対しては失礼ではなくなる。これはなぜか。

 

 

俳優は本来、「歌」が本業ではないから。

演劇・映画等において、その人物に扮して台詞・身振り・表情などで演じる人のこと。

出典:俳優 - wikipedia

だからこそ、俳優がバンド活動をする場合「俳優の枠を超えた」と表現しても何ら問題はない。

 

「俳優」という「枠」と「バンド」という「枠」で比較しているからだ。

 

 

 

ではアイドルの場合を語っていこう。

 

まずアイドルの枠とは何だろうか?

成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物

出典:アイドル - wikipedia

wikipediaにはこうあるが、歌手としてのアイドルの定義は、上記にプラスアルファされる部分がある。

 

つまりこうだ。

 

成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物

+

比較的容姿端麗で、歌って踊れる存在

パブリックイメージとしてはこんなところだろう。

 

 

そして、各種メディアが「アイドルの枠を超えた」と表現する場合、

歌って踊れる存在 

の部分をフォーカスすることが多い。

 

つまり、音楽的な表現力に対する評価である。 

 

アイドルの枠を超えた歌唱力

アイドルの枠を超えた演奏力

アイドルの枠を超えたダンススキル

 などなど。

 

 

これは言い換えるなら、

 

アイドルという存在は本来

歌唱力が低い

演奏力が低い

ダンススキルが低い

と言っているようなものだ。

 

したがって、一見褒めているように感じる「アイドルの枠を超えた」は

 

アイドルにしてはよくやっている

 

もっと汚い表現をするならば

 

アイドルのくせに 

 

と解釈することも出来る。

 

 

こうした「枠を超える」発言は大手メディアだけではな。

 

アイドル好きの個人ブログでも当たり前のように使われている表現である。

そういう輩に限って「アイドルを馬鹿にするな」と宣う。

 

 

特に顕著なのは近年の「BABYMETAL」だろうか。

アイドルの枠(域)を超えた活躍

 

と各所で盛り上がっている。

 

たしかに、並みのアイドルが世界を股にかけてライブをするなど不可能に近い。

 

だが、BABYMETLを褒めれば褒めるほど、日本でくすぶっているアイドル歌手たちを蔑むことになるのだ。

 

 

「アイドルの枠(域)を超えた」まとめ

面倒くさいことをグチグチ語ってきたが、筆者が言いたいことはこれだけだ。

 

無駄な比較をするな

 

同じ「枠」内での「枠を超えた」という表現は「比較」と同義であり、「その他大勢」を自動的に蔑む行為に他ならない。もちろん比較することが完全に悪い事ではない。比較されることで切磋琢磨が生まれる。それによってより良い作品やアイドルが生まれてくるかもしれない。だが現状は、アイドル間で余計な優劣のイメージがついてしまい、本当に良いものが見えなくなっている。

 

 

何より問題なのが「枠」の限界を決めつけてしまう事だ。

 

「アイドルは所詮この程度」という認識が生まれ、ひいては可能性をも潰してしまうという事になりかねない。

 

冒頭でも書いたように、褒め称えるために表現していることは理解できるが、 筆者にとっては違和感の塊でしかない。

 

だから今後は「枠を超えた」ではなく「枠を広げた」と各々が表現してほしい。

 

「超える」ではなく「広げる」ならば、文字通り限界も広がっていくし、可能性も同じように広がっていくのではないだろうか。

 

すでに自身の活動を「枠を広げた」と表現しているアイドルや、メディアの存在も承知しているが、それが当たり前になってくれたらと願っている。

 

それではまた。

 

 

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