のりオト

音楽関連のコラムやCDレビューなど音楽中心の雑記。

のりオト

【常田大希】millennium paradeが売れた理由はリスナーに革命を起こしたから
Ado(アド) 今すぐ聴くべきおすすめ人気曲【7選】
サビから始まる名曲を【23選】まとめてみた

ブログで音楽をレビューすることへの疑問と音楽ブログの在り方

スポンサーリンク

ブログで音楽をレビューすることへの疑問

先日ふと「ブログでの音楽レビューは必要なのか」について考えていた。

 

 

 

ブログで音楽をレビューすることへの疑問

当ブログは音楽系の雑記ブログだ。主なコンテンツの中には、筆者が感銘を受けた作品をレビューするというカテゴリーもある。

 

このブログに限らずCDレビューをしている個人サイトなどいくらでもあるし、レビューに特化したものさえ存在している。

 

 

今の時代はネットがあるおかげで、自分の知らない音楽でも気軽に聴けるようになった。YouTubeや音楽サブスクをはじめ、新たな音楽の情報を得ることはそれほど難しくない。

 

一昔前のように、音楽の情報源が、雑誌やラジオだった時代ならまだしも、現在の環境で、レビューという存在にどれくらいの価値があるのか疑問に思ったのだ。

 

特に音楽サブスクに至っては、無料アカウントであっても条件によっては最新のアルバムでも一枚まるごと聴けてしまったりする。

 

そういった状況を鑑み、読者の立場になってみると「レビューを見るより、音源聴いた方が早いじゃん」と思ってしまう。

 

その時点で、「レビュー」という情報にどれだけの価値があるのかと疑問符が湧いたのだ 

 

 

「じゃあどうしておまえはレビュー記事を書いているんだ」

 

と訊かれたら、音楽を聴いてあれこれ考えを巡らすことが好き、というのが一番の理由になる。

 

ひとりでも多くの音楽ファンに、作品の素晴らしさや感動した部分を共有したいと願う気持ちもある。それに、作品をレビューすることによって、そのアーティストを知らない人間に、新たな情報を提供することは素晴らしいことだと思うし。

 

 

 

 

しかし、そもそも人間というのは「これが良いですよ」と、赤の他人から紹介されても、即座に「聴いてみよう」とはならないはずだ。ましてやレビューをきっかけに作品を気に入ってもらえるなんて確率的には相当低いはず。

 

大手メディアから個人ブログまで、レビューが氾濫している昨今、特にその傾向は強いと思う。

 

読者に感動を与えられる高品質なレビューが書ければ結果も変わってくるかもしれないが、書かれている内容なんてものは結局のところ関係ないと思っている。

 

 

では何がレビューの価値を高めるのか?

 

それは情報の信頼性だと思う。

 

(読者が思う)権威ある媒体が情報を発信していなければならない。

 

 

たとえば、ROCKIN'ON JAPANと当ブログでまったく同じ作品をレビューしたとしよう。

 

そんなことは現状ありえないが、筆者のレビューがROCKIN'ON JAPANを上回る内容で読者に感銘を与えるものだったとしても、一般的にどちらの情報に価値があるかなんて言うまでもない。

 

結局は音楽業界と一緒で、「より大衆に支持されるものが正義」的な考え方がレビューを読む側にも無意識に蔓延している気がするのだ。

 

多分筆者がひねくれているだけで、実際はそこまで深刻に考えることでもないとは思うが。

 

 

 

脱線したが、YouTubeやサブスクで音楽を聴くことと、レビューの存在が対等になるには、情報に信頼性がなければならないという事が言いたかった。

 

いやむしろ、音楽を直接聴く前にレビューが読まれなければいけないので、「レビュー>>聴く」、つまり対等ではなく上回っている必要がある。

 

そうすることで初めてレビューという物に読む価値がついてくるのだと思う。

 

 

 

ではどうやって読者の信頼を勝ち得るのか?

 

信頼を勝ち得る、つまりブランディングだ。

 

それには日頃から価値ある情報を地道に発信していくしかないと思っているけれど、それだけでは解決しない。時代性も考慮しなければ、そもそも誰の目にも触れることがないため、信頼以前の問題になる。

 

 

では「時代性」とは何か?

 

少し意味は違うが「流行」と言い換えてもいい。

 

その時代ごとに興味のある話題を提供しなければ、人々は振り向いてくれない。より多くの読者に価値があると認めてもらうには、個人の思想は無視してでもある程度は流行に迎合する必要がある。

 

だが筆者はこれが性に合わない。

 

ブランディングで媒体の価値を高めるためことに抵抗がある。

 

 

 

あなたは、邦ロック好きなら一度は読んだことがあるであろう、とある「人気ブログ」をご存じだろうか。

 

そのブログは元々「邦ロック」を主に扱うブログではなかった。

 

人々の話題になりそうなネタを集めていたら、結果的に邦ロックの事ばかり書くブログになったという。

 

 

より不特定多数の人間にアピールするため、より興味の湧きそうな話題を振りまき、それに特化することで信頼を得る。ブランディングの一種と言えるだろう。

 

 

これの何が嫌なのかというと、ブログが最先端の流行を発信することで、その媒体には読者が数多く集まる。

 

結果的にそのブログは人気となり、SNSで情報が拡散され、多くの人間が享受する情報は「流行」へと一極集中する。

 

そして、音楽業界と一緒で誰かがブレイクすれば、それに追従する者が現れる。

 

当然ブログで扱うアーティストは似たり寄ったりになるので、情報の中身も似たような感じになってしまう。

 

結果、流行に乗れない弾かれた情報を扱うニッチな媒体やアーティストは、以前にも増して僻地に追いやられることになるのだ。

 

 

ネットのおかげで様々な情報を享受できる環境なのに、皆が同じ情報をありがたがっている。

 

いつまで経ってもやっていることはテレビの時代と変わらない。

 

本当にクソみたいなサイクルだ。

 

 

人間の本質なんて簡単に変わるものじゃないし、そうやって世界は回っているのだから、個人がどうすることも出来ないけれど、悔しさだったりやるせない気持ちでいっぱいになる。

 

流行の話題を振りまいて、それに群がる読者の存在。

 

結局は流行っている音楽を中心に内輪で盛り上がっているだけだ。

 

 

勘違いしてはいけないが、それを悪だと断罪しているわけではない。

 

クソだと感じるのは、筆者の思考が社会に順応できないからであり、気に入らないと感じるひねくれ者なだけで、善悪の話ではなく好きか嫌いかという個人的な感覚の問題。

 

 

 

単なる趣味で音楽ブログを何となく書いているなら何も問題はない。外野からどう思われたって構わないし自分が楽しければいいからだ。

 

読者に新しい価値観を与えたり、知らなかった音楽の扉を開けてもらうには、ある程度戦略的に立ち回らなければならないことへの矛盾を感じている。

 

 

ただ、今の状態でも筆者の情報が届いていると実感できる瞬間はある。

 

ブログで紹介したバンドに対し「かっこいいバンドですね」「良い曲ですね」なんて反応があった時は天にも昇る気持ちだ。

 

自分がブログをやっている意味はあったんだなと、自分の情報が認めてもらえたんだなという、ブログでレビューすることへの意義を見出せる瞬間だ。

 

 

 

当ブログは順調にアクセスが増えてきているので、それはありがたい話なんだけれど、さらに認知されるにはブランディングが必要だと思っている。

 

だから最近はYOASOBIやボカロ関連の話題、ネットやチャートを賑わすアーティストも記事ネタとして積極的に選ぶようになった。一人でも多くの人間にこのブログを知ってもらいたいからだ。

 

何だか行きつく先は上述したブログたちと同じになりそうで嫌な感覚もあるが、仕方ないと思って割り切ってやっていこうと決めた。

 

 

 

ブランディングする意図だけど、別にネットで人気者になりたいわけではない。

 

人間性はどう捉えてもらっても構わないけれど「この人の情報は信じられる」と思われたいだけ。

 

「人間としては終わってるけど薦める音楽は良いよね」って思われたらそれでいい。

 

結局それを"人気がある"と表現するのかもしれないけど。

 

そんな状況になれば自分のレビューにも、もう少し価値が出てくるかもなと思っている。

 

それではまた。

 

 

こんな記事も書いています


Hatena

Feedly