あいみょんのパクリ疑惑に見る、エンタメ界に蔓延る盗作問題への個人的見解
2019年の大ブレイクを皮切りに、日本の音楽シーンのトップを走り続けるシンガーソングライターあいみょん。
そんな、飛ぶ鳥を落とす勢いのあいみょんにはいくつかのパクリ/盗作疑惑がある。
2021年2月17日リリース「桜が降る夜は」。
2020年6月17日リリース「裸の心」。
そして、あいみょんのパクリ/盗作疑惑で最も炎上したのが、2018年8月8日にリリースされた「マリーゴールド」だ。
ということで本稿では、あいみょんのパクリ疑惑をはじめ、音楽界のみならず「エンタメ業界」に古くから蔓延するパクリ/盗作問題に対する個人的な見解を述べていきたい。
あいみょんはどんなパクり/盗作疑惑があるのか
知らない読者のために、あいみょんのパクり/盗作疑惑がどんなものだったのか、冒頭で挙げた楽曲をかんたんに解説していこう。
桜が降る夜は / あいみょん
従来の「あいみょん」のイメージと異なる新たな一面が垣間見れるMV。
イントロのギターフレーズが、WANDSの大ヒット曲である「世界が終るまでは…」のAメロ直前のフレーズに似ていると言われている。
裸の心 / あいみょん
続いて「裸の心」。
MVでは、シャワールームで歌うあいみょんが非常に印象的である。
「裸の心」のサビのフレーズに『いま~、わたし~』という箇所があり、この部分が、あの有名曲『翼をください』に似ていると言われている。
この他、ちょっと渋い所では
を想像してしまったリスナーもいたらしい。
実際「裸の心」の動画のコメント欄では、パクリや盗作に関する発言がいくつも確認できた。
マリーゴールド / あいみょん
マリーゴールドは一世を風靡した楽曲であり、パクリ騒動の際も注目度が高かった。
YouTubeでは「どれだけ似ているか?」といった検証動画がいくつもアップされていたので、ご存知の読者さんもいるとは思うが一応解説していく。
マリーゴールドのサビのメロディが、1999年7月に発売されたゲームボーイ用ソフト「メダロット2」の作中で使われているBGMに似ているというものだ。
小沢健二の『さよならなんて云えないよ』に似ているという声も多数あがっていた。
冒頭の歌い出し「青い空が輝く~(0:17~)」
サビでの「日なたで眠る猫が~(1:15~)」
がマリーゴールドのサビである「麦わらの~(1:05~)」
に似ていると言われている。
あいみょんは実際パクっているのか
今回は、パクリか否かを検証することが記事を執筆した目的ではない。
それを踏まえて、実際パクっているのかどうかは『あいみょん』本人にしか分からないことだ。
仮にパクっていたとしても、あいみょんが「パクっています」なんて堂々と宣言するわけもない。
リスナー同士で
「あいみょんはパクリだ!」
「いや!あいみょんは断じてパクっていない」
と息巻いたところで永遠に答えは出ないし、"パクリ"か否かをジャッジすること自体意味のないことだろう。
だが、ここで記事が終わってしまうと締まらないので、ここからは「あいみょんのパクリ疑惑」について個人的な見解を述べていきたいと思う。
あいみょんのパクリ/盗作について
まず「桜が降る夜は」「裸の心」に関してだが、あれは完全に”言いがかり”レベルではないだろうか。
一聴した程度だが「似ているか否か」と問われたら、まあ実際似ているかもしれない。
とはいえ、正直騒ぎ立てるほどではない気がする。
仮に、このレベルを「パクリ/盗作」と断定したとしよう。
月並みな表現をするなら、邦楽界のほとんどの楽曲はパクリと言っているようなものである。
フレーズ/メロディが少し似ているだけで「パクリだ!盗作だ!」などと言い始めたら正直キリがないし、新しい音楽なんて生まれなくなるだろう。
上記二曲が「パクり」と判断されてしまった要因は「マリーゴールド」が大きく炎上したことも関係していると思う。
「マリーゴールド」の騒動によって「あいみょん = パクリ」というイメージが出来上がってしまったからだ。
では、問題の「マリーゴールド」はどうだろう。
巷では、鬼の首を取ったかのように「パクリだ!」と騒ぎ立てる者、あいみょんを擁護し断固として「パクリではない!」と主張する者。
この両者の対立構造があった。
筆者は、両者の言い分を興味深く観察していたが「パクリではない!」と否定する意見がどうにもこじつけばかりで、余計にあいみょんがパクっているのではないかという疑念が高まった。
検証動画など様々な根拠から導き出した結果、マリーゴールドは個人的にパクリだと思っている。
良いパクリ 悪いパクリ
上述したとおり、あいみょんのマリーゴールドはパクリだと思っている筆者だが、その事実が作品を貶めることにはならない。
結論から言えば、私はパクってもいいと思っている。
ただし、パクリ肯定派とはいえ、別曲のサビメロをフルコーラス抜き出し、自作の曲にはめ込むといった完全なコピー/トレースはさすがにアウトだと思う。
筆者が容認できるパクリは、リスペクトの想いで「オマージュ」として作品に宿らせるケース。
「好き」な気持ちが強すぎて意図せず作品に投影されてしまった場合も仕方ないだろう。
あとは単純に、自分の好きなフレーズを少し拝借するといったケースもアリだと思う。
なぜこうした考えに至ったかというと、初めて音楽を生み出した人間以外、完全なオリジナルにはなれないからだ。
誰しもが気付かぬうちに、過去の経験で得た何かしらの影響を受けているはず。
仮に「誰からも影響を受けていない」と自称するアーティストがいたとしよう。
その場合も、生きている以上は、外部からの情報を嫌でも吸収しているはずなのだ。
無意識に溜めこまれた情報が、自分でも気付かぬ内に作品へ投影されることは何もおかしなことではない。
筆者は、ブログ等で好きなバンドを紹介する際、オリジナリティがあるとたまに表現する。
ただしそれは、上述したように「完全なオリジナルではない」と分かった上での発言だ。
既存のパーツを組み合わせて、まったく新しいエキサイティングな物を生み出す。
それもまた立派なオリジナリティではないだろうか。
あいみょんのオリジナリティ
今回取り上げた、あいみょんのパクリ/盗作疑惑もこれに当てはまっている気がするのだ。
あいみょんは様々な音楽から影響を受けていることを過去に公言していた。
特に印象的だったのが、彼女の世代で聴いている方が珍しい「吉田拓郎」「河島英五」といったアーティストの名前だ。
古き良きアーティストの音楽性に、あいみょんの現代的なエッセンスが融合した結果、彼女の独創的な音楽が生まれたと思っている。
彼女自身もツイッターで以下のように発言している。
みんな誰かの真似真似ってすぐ言うけど、何も真似しようとせん人は何も生み出さへんってダリが言ってた。それは私もそう思うしそう信じてます。色んなアーティスト、芸術家に影響を受けて羨んで憧れてきて、真似せずにはいれへんよ。真似事から新しい音楽が生まれるなら最高やんか。
— あいみょん (@aimyonGtter) June 16, 2017
独創的でありつつも「どこかで聴いたような気がする」といった懐かしさ、もっと言えば、ある種「スタンダードな音楽性」が、世代を問わず支持された理由の一つではないだろうか。
メダロット2のメロディに関しては、あいみょんが意図的に楽曲へ組み込んだかどうかは分からない。
仮に無意識だったとしたら、あいみょんの中で印象的なメロディとして頭のどこかに存在していたはずだ。
それが何かのきっかけで、マリーゴールドのメロディに宿ったのだと筆者は考えている。
「鬼滅の刃」「呪術廻戦」もパクリ/盗作疑惑がある
音楽だけではなく、エンターテインメントの世界はパクリが日常茶飯事である。
社会現象になった「鬼滅の刃」も、複数の作品から設定を拝借していると話題になった。
2021年現在人気が爆発している「呪術廻戦」も然り。
しかし、いくらパクっていようとも「鬼滅の刃」「呪術廻戦」の面白さは微塵も失われていない。両作品を読んだことがあれば分かるはずだ。
ここまでヒットした理由は正直謎だけど、ただのパクリや盗作作品が起こせる社会現象の域を超えていると思う。
それは筆者が先ほど述べた、
既存のパーツを組み合わせて、まったく新しいエキサイティングな物を生み出す。
という行為を、両作品とも実践しているからに他ならない。
漫画以外の世界、小説や映画などでもパクリ疑惑のある作品を挙げ始めればキリがない。
そう、エンタメの世界はパクリ/盗作が日常的に行われていると考えていいだろう。
だからといって、それを否定したり納得がいかないと嘆いても仕方がない。
この業界は何年もそうやって回っている。
たとえパクっていたとしても、オリジナリティが勝り、大衆に訴えかける作品は支持を得ることが出来る。
その事実がどうしても我慢できないなら、そんな作品とは距離を置けばいいだけだ。
いっさいのコンタクトを取らず批判もせず、何もなかったかのように過ごす。
ただ好きな物だけに情熱を注げばいい。
より"生産的"な方法を望むなら「パクリだ!」と過敏に目くじらを立てるのではなく、どの作品とも一度ニュートラルな姿勢で向き合う事。
そうすれば「パクリ/盗作疑惑」のある作品でも、純粋に良い部分が見えてくるかもしれない。
「パクリだ!」と世間で言われている作品も、別の角度で捉えれば感じ方が変わることもあるのだ。
ひょっとしたら自身の価値観を変える「オリジナリティ」に溢れた心震わす存在なのかもしれない。
それではまた。
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