元バンドマンがロックの定義を炎上覚悟で思うがままに書き殴った
「ロックの定義」について、いくつかの例を挙げ様々な角度から語っていきたいと思う。
そもそもこんなものに答えがないことは分かっている。人それぞれでロックの定義は変わっていくはず。
だが今回はあえて定義してみたいのだ。
バンド活動も経験し、ロックを長年聴いてきた筆者だからこそ何か伝えられることがあると思っている。
記事タイトルに「炎上覚悟」と入れたが、月ウン万PVのたいしたアクセスもない弱小ブログで多くの人目に付くとも考えられないので思っていることをありのまま書き殴ってみたい(本音を言えば、大炎上してほしいところだが)。
定義を語る前に、音楽ジャンルであるロックの定義はwikipediaを読めば一発で解決するので今回はそこには触れない。
あくまでも筆者が思うロックの定義ということでお願いします。
- 筆者の考えるロックの定義とは?
- なぜサウンドで判断してはいけないのか
- 音が激しければロックなのか?
- アイドルのロックフェス出演について
- BiSHは邦楽ロックなのか
- 「ロックバンド」と呼ばれているのに実は「ロック」ではないバンド
- ロックの定義 結論とまとめ
筆者の考えるロックの定義とは?
ではさっそく本題に入っていこう。
音楽におけるロックの定義は、「生き様」がカギを握ると思っている。
尤も「ロックは生き様だ」なんてセリフは手垢の付いた表現だ。
これを読んでいるあなたも、人生で一度くらいどこかで見たり聞いたりしたことがあるはず。
筆者が提唱するまでもなく先人たちが散々語りつくしているので恐縮だが、「生き様」を軸に話を進めていきたいと思う。
ロックのパブリックイメージ
一般的な「ロック」のイメージは、
- サウンドが激しい
- ボーカルが叫んでいる
ロックをあまり聴かない人のほとんどは、このレベルでしか認識していない。
激しいサウンドに、ボーカルが分かりやすくシャウトしているような感覚だ。
しかし実際のロックはそんな簡単に説明できる音楽ではない。
だから「生き様」を判断基準にした
そう、音ではロックか否かは語れない。
「サウンド以外の要素で決める」と考えたとき「生き様」という判断基準が脳裏に浮かんだ。
表面的なサウンドはいっさい考慮せず、音を出している人間の生き様がロックだと感じられた時、初めて「ロック」と呼ぶべきだと思うのだ。
上記の考え方に当てはめるなら、生き様さえロックであれば当然ギターの音はクリーンでも問題はない。もちろんアコギでもロックになる。
そして、一般的なロックバンドの形態である
- ギター
- ベース
- ドラム
が存在しない音楽であってもロックと呼べるわけだ。
さらに言えば、本来はロックと対極にある「童謡」や「演歌」「クラシック」などもロックに含めることは出来るかもしれない。
なぜサウンドで判断してはいけないのか
音楽ジャンルとしての「ロック」が誕生してから、そのカテゴリは数え切れないほど細分化した。
しかし、現存するロックアーティストの多くは
「一般的に考えられるロックという音楽の枠組みを模倣しているだけ」
と筆者は考えている。
要するに"形"だけのロックアーティストだということ。
では、上述した「一般的に考えられるロックの枠組み」というのは一体何なのか?
ロックバンドと聞いてすぐに連想する姿を想像してもらえばいい。
このように分かりやすいフォーマットが「ロックの枠組みを模倣した音楽」と言えるのではないだろうか。
こうした考え方は、パブリックイメージと同様に、ロックを聴き始めたばかりのビギナーが陥りやすい。
- 「ギターが歪んでないならロックではない」
- 「バンド形態でなければロックではない」
実はこれ、ビギナーに限った話ではない。
このようなステレオタイプなロックリスナーは意外と多いのだ。
しかし、サウンドだけでロックか否かを判断してしまうと大変なことが起こってしまう。
音が激しければロックなのか?
- サウンドが激しい
- バンド形態である
これらをロックだと定義付けてしまうと、日本一のアイドル集団「ジャニーズ」の楽曲でさえ、ロックのカテゴリに入ってしまう。
ジャニーズグループの楽曲は、K-POP同様に最先端、もしくは商売になる音楽性を取り入れることが多い。仮にロックが商売になると分かれば、当然"ロックサウンド"に傾倒していく。
パッと思いつく例として、KAT-TUNは10年ほど前ロックサウンドをかなり取り入れていた。
だからといってジャニーズグループの楽曲は決してロックにカテゴライズされない。
それはリスナー誰しもが認識しているし歴史が証明している。
歌っている本人たちも当然ロックだとは思っていないはずだ。
では次に具体的な例を挙げてみよう。
AKB48の場合
「AKB参上!」というAKB48(Team A)の楽曲がある。
ボーカルを無視しバックの演奏だけ聴くと、大部分が硬質なリフで構成されているのが分かる。
サビではシンフォニックメタルの要素なんかもあって、AKB48が歌っていなければ完全にHR/HMバンドのそれである。
かといって、AKB48の楽曲がハードロックやメタルと紹介されることはないし、一般的にロックだと認識されることはないはず。
仮にあったとしても「ロックっぽいね」くらいだ。
上記と似たような例はアニソンの楽曲でも頻繁に聴くことが出来る。
アニメソングの場合
特にアニメ番組のオープニング等で流れる、疾走感のある楽曲の多くはヘヴィメタリックなアレンジが施されていることが多い。
アニソン自体がヘヴィメタルと親和性が高く、「アニメタル」という企画モノのバンドのヒットがそれを証明している。
また、アニソン界隈にはメタルミュージックの分野で活躍した人物が数多く在籍していることでも有名。
そういった事柄もサウンドに大きく影響しているとは思う。
比較的知名度の高い人物といえば「CHA-LA HEAD-CHA-LA」の影山ヒロノブだろう。
影山ヒロノブは元々HR/HMバンド「LAZY」のボーカリストでもある。
影山ヒロノブといえば聖闘士星矢のオープニングナンバー「聖闘士神話 ~ソルジャードリーム~」も有名だが、聖闘士星矢はもうひとつの代表的なOP曲がある。
ペガサス幻想は分かりやすくHR/HMアレンジされたアニソンの代表格と言っていいだろう。
そして多くのリスナーがアニメソングの名曲だと認識している。
この楽曲を手掛けたのは、MAKE-UPというHR/HMバンドだが、ペガサス幻想をロックの名曲だとは誰も言わない。
ロックバンドの楽曲であっても、あくまでアニソンとして語られている。
こうした例を挙げれば分かりやすいと思うが、ロックバンドがいくらロックサウンドで楽曲制作しても、それが自動的にロックになるわけではない。
つまり、サウンドでロックは語れないことの証明なのだ。
アイドルのロックフェス出演について
近年ますます増え続けているアイドルグループのロックフェス出演。
この現状、あなたはどうお考えだろう?
筆者は大反対だ。
まず前提として、「ロックフェスティバル」には生粋の「ロックアーティスト」のみが出演するべきだと考えている。
運営自らが「ロック」フェスティバルと銘打っているイベントで、明らかにロックの欠片もない人間を出演させていたら筋が通らないと思わないか。
アイドルグループの出演がなければ集客面で厳しいという側面もあるだろう。
それならそれで「ロック」の名を冠せず、別枠を設けてフェスを開催してくれと強く思うのだ。
「VIVA LA ROCK」の兄弟フェスである「ビバラポップ!」のように。
アイドルのロックフェス出演に反対の理由
上述した通り、アイドルはロックではないからだ。
それ以外の理由はない。
楽曲をどれだけメタルサウンドに寄せようが、シャウトやグロウルをかまそうが、アイドルは所詮アイドルだ。
ロックと比較してアイドルソングのクオリティが低いと言ってるわけではない。
ましてや、アイドルがロックより下だなんて微塵も思っていない。
あくまでロックか否かという話だ。
逆に、ロックバンドがアイドルソングのような楽曲を演奏したって、アイドルのような輝きを放つことは出来ない。
どれだけがんばっても、ロックバンドは所詮ロックバンドなのだ。
断っておくが、私はアイドルグループが嫌いではない。
むしろ気に入ったアイドルは応援していくスタンスだ。
読者の方には果てしなくどうでもいいことだが、最近は「#ババババンビ」というアイドルグループに嵌っている。
どうでもいいついでに、左から二番目の「小鳥遊るい」を推している。
出典:西日本新聞
したがって、「アイドル」という理由だけで色眼鏡で見るつもりはない。
当たり前だが存在を否定するなんてもっての外だ。
アイドルに思い入れがあるからこその、愛ある苦言だと思ってもらいたい。
ロックリスナーへの警告
いずれにせよ、「アイドル」と名乗っている存在がロックのフィールドへ足を踏み入れることを認めるわけにはいかない。
一時の勢いがなくなったとはいえ、空前のアイドルムーブメントは未だ続いている。
「流行りモノ」に便乗して商売をする心根はどうしようもなくカッコ悪い。
カッコ悪い集団がロックリスナーに媚びを売りながら活動している様は我慢ならないのだ。
時流など関係なく、純粋にアイドルを夢見て努力をしアイドルとなった女性も大勢いるだろう。
ロックフェスへの出演も、大人たちの意向でやらされているのは明白だ。フェス側としてもメリットの方が大きいだろうし。
だから本当に目を覚まさなければならないのは、受け手側のロックリスナーなのかもしれない。
要するに、「アイドル」という不純物がロックフェスへ出演しているにも関わらず、何の疑問も抱かずバカ騒ぎするのはやめろという事だ。
BiSHは邦楽ロックなのか
「楽器を持たないパンクバンド」というキャッチコピーで絶大な人気を誇る「BiSH」
最近ようやく聴く機会があったのだが、楽曲は素直にカッコいいと思えた。
ロックでパンクでハードコアなサウンドはどれもクオリティが高い。ボーカルもいい感じだ。
多くのロックリスナーに支持されるのも頷ける。
BiSHは邦ロックリスナーの間で、「邦ロックバンド」と同列に語られることが多い。
しかし筆者は、BiSHがどうしてもロックだとは思えない。
筆者のBiSHに対する評価は、単純に楽曲だけの物だ。
メンバーの活動スタンスに共感できる部分は一つもない。
どこまで行ってもアイドルはアイドルなんだなという印象がある。
アイドルを揶揄する際のセリフ、
アイドルは曲を自作していないからダメ
筆者はそんな次元の話をしているのではない。
いくら自作曲で活動していようがアイドルはどこまで行ってもアイドルだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
「楽器を持たないパンクバンド」
最も納得がいかないのは、「楽器を持たない」と謳っているとはいえBiSHのことをパンクバンドと言い切ってしまっていることだ。
頭が堅いと思われようがあえて言わせてもらう。
本来パンクとは反商業主義でなければ成立しない文化。
にもかかわらず、商業主義の権化といってもいいアイドルがパンクを名乗っている。
こんな筋の通らない話があってたまるか。
取って付けたような薄ら寒いキャッチコピーとコンセプトでの活動。
これは、お金儲けがしたい大人達がやらしていることだ。 そんなことは分かっている。
BiSHはブレイクするまで、アイドルらしからぬ泥臭い活動をしてきたことは承知している。
アイドルの既成概念を破壊し続けて現在の地位まで上り詰めてきたことも分かっている。
努力した彼女たちは素直に素晴らしいと思う。
そうした活動スタンスがロックスピリッツに溢れ、パンクな生き様であると言えなくもない。
それでも、今の時代にアイドルとして生きていくと決めた人間からはロックアーティストのオーラは感じられない。
何処まで行っても作り物に見えてしまう。
結局は「こうしたらロックファンは喜ぶんだろ」という下心が見え透いていて何とも薄気味悪いのだ。
たとえば、BiSHへロックフェスの運営から出演オファーがあった際に
「私たちはアイドルだからロックフェスには出たくない」
と胸を張って辞退するくらいの気概があれば、逆に「めっちゃロックじゃん!」と認められたかもしれない。
多くのアイドルグループが時代の流れでロックフェスに出演する現状の中、それくらいブチかましてくれるアイドルがいたらとてつもなくカッコいいと思うのだが。
BiSHほど突飛な存在なら、そんな離れ業もいつかやってくれそうな可能性を感じていたのでなおさら残念でならない。
「ロックバンド」と呼ばれているのに実は「ロック」ではないバンド
現在音楽シーンで活躍中の「ロックバンド」と呼ばれる存在。
実はロックではないバンドがたくさんいることをご存じだろうか。
この項目では「実はロックではないロックバンド」について語っていきたい。
流行っているジャンルに迎合してしまうバンド
多くのロックバンドは慈善事業で音楽をやっているわけではなく、飯を食うために活動している。
したがって、売れるために「流行りに乗る」という行為は、どのジャンルであっても仕方がないことだ。
断っておくが、流行りに迎合するバンドを否定しているわけではない。
時流の乗って活動するバンドなどいくらでもいるし、そのバンドの音楽だって素晴らしい物は素晴らしい。
あくまでロックか否かというだけの話だ。
余談だが「売れたいと思うのはダサい」といった考え方がロックにおいては悪だという風潮がある。
これについて筆者は悪いとは思わない。
売れなければ次の作品が作れないし、「売れたい!」という想いを過剰なまでに吐き出しているなら逆にカッコいいとさえ思ってしまう。まあそれがロックかどうかはさておき。
では、話を戻そう。
流行りに乗ってしまうバンド。
筆者が真っ先に思い浮かんだバンドは「MY FIRST STORY」
彼らは日本武道館でもライブを行うなど、今やその人気は絶大。
最近では地上波にも出演したりとお茶の間まで知名度を広げている。
そんな「MY FIRST STORY」だが、筆者はこのバンドをロックだと思ったことは一度もない。
度々でしつこいかもしれないが、筆者はMY FIRST STORYが嫌いではない。
普段から聴いている比較的好きなバンドである。
ただし、ロックだとは思えない。
なぜ「MY FIRST STORY」はロックではないのか?
初めから売ることを目的に事務所に作られたバンドだからだ。
そういった意味ではバンドというより「プロジェクト」と呼んだ方がしっくりくるかもしれない。
音楽性はもちろん流行りのサウンド。
いわゆる「ラウドロック」を中心とした「オルタナ」「ポストハードコア」。
要するに当たり障りのない流行をおさえた音を鳴らしている。
売れるために全精力を傾けたと言ってもいいガチガチの音楽チームだ。
この時点で「ロック」と呼ぶには程遠いカッコ悪さが漂う。
そして、ここまでのエピソードを軽く凌駕するほどカッコ悪いのが、完全に兄の模倣から始まったということ。
一時期の楽曲タイトルのフォーマットなどは、痛々しいほどONE OK ROCKと酷似していた。
結果的に、マイファスの数々の戦略は商業的に大成功したが、やっていることはエイベックスやLDHのアーティストと大差はない。
ロックバンドとしてのカッコよさは微塵も感じられないのだ。
したがって、MY FIRST STORYはロックバンドではなく
「ロックというジャンルの音楽をやっているバンドのような集団」
ということになる。
そこには良いも悪いもない。
バンドがクソみたいなスタンスで活動しようが構わない。
生まれてきた楽曲がカッコよければ何も問題はないと思う。
カッコいい曲が聴ければ筆者はそれだけで満足だ。
ただただ、ロックではないというだけの話。
ロック以外がダメな音楽だと言っているわけでもない。
ポップスだろうが何だろうが良い曲は良い。
繰り返すが、MY FIRST STORYの音楽性は大好きだ。
ただし活動スタンスが極めてダサく、ロックではないと思っているだけ。
ロックの定義 結論とまとめ
かつてロックのパブリックイメージは
- 「反社会的」
- 「反体制」
- 「反骨精神」
これらで内容で語られていた。
しかしその実態は、上記のイメージが間違って定着しただけで、本来はメッセージ性に乏しく、過激なイメージとは程遠かった。
ざっくり表現するならば「不良の音楽」といったレベルでしかない。
時代によっては、単なるファッションの一部のように認識されていたこともある。
ファッションでロックを聴くことは今の日本も同じような物だが。
ロックなんて所詮は「不良の音楽」であり「ファッション」のひとつに過ぎなかったのだ。
古き時代の社会情勢であったり、パンクロックやモッズの出現など、多くの要素が重なることで過激なイメージが一部で定着したと言われている。
筆者が提唱しているロックの定義というのは、この辺りの「過激な思想」だったロックの影響を強く受けている。
もちろん「反○○」というような概念だけで語りつくせるような簡単なテーマでもない。
だが、筆者の中では「ロック=反骨の音楽」というものがまず根底にあって、そこから状況を鑑みてロックか否かを判断する傾向にある。
「反骨の音楽」以外では、「弱者の音楽」と表現されることもある。
この考え方には昔からシンパシーを感じていた。
音楽に限らず、弱い存在だからこそ 「見えるもの」「出来ること」があると思うのだ。
特に芸術の世界ではそれが顕著に現れる。
弱者にしか表現できない独特の世界。
その独特な世界は、作品だけでなく生み出した人間の生き様にも現れる。
生き様が作品に宿ると言ってもいいだろう。
そんな生き様(作品)は、人々の心を震わす何かを秘めていることがある。
「人々の心を震わせる何か」
そういった目に見えない何かを作品に宿らせる。
それを成し遂げられる人間がロックなのだと思う。
そんな人間の奏でる音楽がロックになるのではないだろうか。
筆者の考えるロックの定義は
- その生き様に心が震えるかどうか
- そんな人間の鳴らす音こそがロック
えらく抽象的になってしまったが、まとめるとしたらこれが限界だ。
あなたにとってのロックとは何か?
それぞれにロックの定義があるだろう。
きっとBiSHやMY FIRST STORYをロックだと感じている人も沢山いるはずだ。
それを否定することは誰にもできない。
明確な正解が無いからこそ自分なりの答えを導き出す価値がある。
こだわりをもってロックを聴くこと。
それは本物に出会える近道かもしれない。
それではまた。
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